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にんじんと読む「フッサールの現象学(ダン・ザハヴィ)」🥕 ①フッサールの心理主義批判

フッサール心理主義批判

 『知覚すること、信じること、判断すること、認識すること、これらはいずれも心理的現象であるから、これらの構造を調べるには心理学を用いなければならない。つまり論理学というのは結局心理学の一分野であり、論理法則は心理学的に、経験的に探究されなければならない』―――こういう考え方を心理主義という。フッサールが指摘した心理主義の根本的な誤りは「認識対象」と「認識作用」を区別できていないことだった。

 たしかにピタゴラスの定理はそのつど言及され、理解され、見られ、認識されるものであるのだが、「ピタゴラスの定理」について語るとき、ひとは主観的経験ではなく、非時間的・客観的・永遠に妥当するものとして、これを語っているのである。非時間的・客観的・永遠に妥当するもの、といったような言葉が何を意味するかはともかく、実在と理念は意識において区別されている。そしてこれを解き明かすためにこそ、私たちは「意識」を探求するのである。

 ここで注意しなければならないのは、フッサール心理主義を批判しながら心理主義に立ち戻ったのではないということだ。彼は心理主義批判を通して、対象と作用を区別することを学んだ。それと同時に、対象と作用の根本的な結びつき――対象というものはどうしても作用がなければ成り立たない――に気が付いたのである。フッサールはこの根本的な結びつきを手掛かりに、理念性(たとえば「ピタゴラスの定理」)が最終的に私たちに与えられる仕方を理解しようとしたのだ。心理主義は対象をすべて作用に還元してしまうが、フッサールは対象を作用との関係において理解しようとする。