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にんじんと読む「結婚と家族のこれから」第一章

第一章 家族はどこから来たか

説明の出発点は、「食べていくこと」です。人間、食べていくこと、つまり経済的な生活基盤がなければ生きていくことができません。逆にいえば、生活基盤が確保されていれば、あとのことは比較的自由に決められるのです。それは家族や結婚についても同様です。家族や結婚のかたちは、人々の経済的な生活基盤に応じてある程度決まります。

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

 日本古代の生活基盤は「村落共同体」だった。この共同体から出ればほとんど生きてはいけない状況だったということだ。ここにおいて重要なのは農業であり、男女共同で行えるもので、子どもも重要な働き手となる。好きになったらセックスをして近しい生活をはじめるが、複数の相手と親しくなることも普通で、気づいたら別れていることも普通だった。ここにおいては子どもが生まれることが重要で、「家」というものはそれほど重視されてはいなかった。

 この変化のきっかけとして「大宝律令」が挙げられることが多い。これは大陸から輸入された中央集権的な社会制度で、『家長』と彼の管理する成員を単位に税をおさめていくこととなる。このような制度はきわめて「約束事」めいたもので、個人個人にはそれを守るような合理性も特になく、上部階層に至ってもそれほど浸透しなかったという見方もある。

 ただ古代末期から中世にかけて、武士階級でこの家父長制的なあり方が広がって来た。それは暴力行為(戦う)ことによって「生計を立てる」という階級だからであり、農作業とは違い、男が前面に立つ分野だからである。財を築くためには手柄を立てねばならず、手柄を立てるのは男の仕事なのだ。生活していくためには男が手柄をあげればよく、手柄をあげた男は尊敬される。家父長制的な政治的圧力を助けに、築いた財をしっかり守っていくには「血統」が大事になって来る。江戸時代になると戦争はほとんどなくなり、武士階級は官僚・役人となって徐々に家父長制的なあり方が広がっていく。

 庶民や商家は農業・経営が生活にとって大事で、息子がいつも有能とは限らないために浸透は遅かった。経済と差別は基本的に折り合いが悪く生産性が悪くなるのだが、家父長制的な政策は自らの既得権を維持するために利用された。財を築いた上の人間から徐々にこの流れに乗っていき、次第に商家でも広く「家」が広がっていった。

 明治時代に制定された民法は家長の権限を具体的に盛り込んだ実態のあるものであり、とうとう庶民も「家」で包んだ。家長は構成員についてどこに住むかなどを決めることができ逆らったものは扶養しないことができた。財産は長男にのみ引き継がれた。とはいえ、下の階層ほど後継ぎのうまみは少なく、近代化が進むにつれて改正を求める声が大きくなるが、戦争など別の論理が出てくる中で、かき消されていった。

 長男と結婚すると奥さんは夫の両親と同居しなければならず「嫁いびり」なども面倒だったため、次男以下と女は、自由を望み家から出ようと考えだした。女性にとって理想的なのは次男以下なのだ。一方、次男以下は経済的に独立するためになにかビジネスをはじめるなどしなければならなかったが、近代化も手伝って「労働者」となる道がひらかれていた。だれかに雇用されてお金をもらうというものだ。

 当たり前のように、会社は社員の息子を雇用する理由などどこにもない。このため、庶民にはもともとそれほど意味がなかった血統の意味は余計に薄れて行く。

したがって、雇用というかたちでの働き方が都市部で徐々に浸透していくにつれて、家制度はその根底を掘り崩されていくのです。

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にんじんメモ

 つまり「家」は、支配層の子どもにとっては「うまい」けれども、庶民になればなるほど「うまみ」が減っていく。親が課長でも息子が課長になれるわけもなく、跡を継いだからなんなんだという話になり、支配層から徐々に広がって来た家父長制は、今度は庶民のほうから「なんの意味があるの?」と塗り替えされている。