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にんじんと読む「結婚と家族のこれから」第三章

第三章 「家事分担」はもう古い?

 日々生きていくうえで仕事は大事だとしても、仕事以外にもやらなければならないことはたくさんある。しかもそれはやらなければならないのに、タダ働きなのである。これを無償労働といい、「家の仕事」「家事」とかいう。共働き社会においてはこの無償労働の配分が問題となってくるのは、Twitterで夫が何もしないと愚痴っている人びとを見ればよくわかる。

 この配分についてのごく一般的な説明は「時間のあるほう」「稼いでないほう」が家事をするということなのだが、統計的にはまったくそうなっていない。男のほうにいくら時間があろうが稼ぎが減ろうが無償労働をほとんどしないのである。この点について男は自覚したうえで家事を担当したほうがいいのだが、しかし、無償労働の話は、男が手伝えば済むという問題ではない。

 無償労働に求められる水準は経済成長とともに高まる。その高まりは冷蔵庫ができようが、裁縫なしでユニクロで買おうがまったく追い付かないほどである。洗濯ものをたたんだりは自分でしなければならないし、ルンバがやってくれるのは床の上の埃だけだ。結局、「そこに人がいる」ということが重要になってくるのである。家事使用人が当たり前のように生産拠点である「家」に出入りしていた頃ならまだしも、工業化が進み家を出るようになると家事使用人としてもそこで使用人をしているよりも外に出て自分で働いたほうがよいということになってくる。初期の頃はまだ「女中」と呼ばれる貧しい子を経済的に豊かな人間が雇うこともあったものの、徐々にそんなこともなくなってきた。

 北欧では高い税金をとって福祉に力を入れ、このようなケア労働を公的に供給している。もちろんこれも一長一短ではあるものの、参考になるモデルであるのは間違いない。