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生きている、なぜか(日記)

2022.06.18記

 おそらくだが「どうして生きているのか?」という問いを、「なぜ生きて行かなければならないのか、その理由はなにか」と解釈すると求めている答えには永久にたどり着けない。なぜならそんな理由はなく、今すぐに死んでも特に大きな影響はないからだ。もちろん親族や友人は悲しむかもしれないが、一代限りのことである……と考えだすと、あぁ生きている(生きていく)理由はないのだなとため息をつくはめになるし、正直もうそれ以上進みようがない。

 そこで「いま生きている。それはなぜなのか」としてみる。いま、あなたは厭世的になっているかもしれないが、なぜか生きている。死ぬときは痛いからかもしれない。だから安楽死施設がどうだの言っている。では安楽死できればすぐに死ぬのか。本当に? 本当ならそれでよい。では次は方法を考えればよい。だがそれで済むならもう方法を探し始めているだろうし、少なくともこの文章は見ていない(残念なことにここに死に方は載っていない)。すると、生きているのには他に理由がありそうだ、ということになる。生物には生きていたいという「本能」があるからか。だが実際自殺する人はいるのだから、本能を乗り越える方法があるということだ。つまり結局方法の問題になる。まだほかにもありそうだ。お酒がおいしいから生きているということも、当然ありうる。だがもしそれだけなら、お酒が飲めなくなれば自殺するわけだ―――「生きている理由」が現に存在して、どれほど複雑に絡み合っていることか。