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ぼんやりライフ(日記)

2022.06.26記

 この頃、どうもいつもぼんやりしているので困っている。ぼんやりしていると本も読めないし、本を読む気も起こらない。昔はもう少し「正しいこと」について貪欲だった気がするのだが、どうやら真理というものが理念的なものに留まるらしいことを知って以来、んじゃあまあいいか、みたいになってしまった。簡単にいえば、事柄には無限の側面があって多面的にものを知れば知るほどそれに対して適切な叙述ができるようになるのだが、しかし、原理的に新たな側面の可能性があるのでどうあってもすべてを見通すことはできない……ようなことだ。善についても同様で、どのように「すべき」なのかは個別的な状況をよく見なければならず、たとえば「中絶は駄目絶対」の一言で片づけられるようなことはありえない。そんなわかりやすい規則があったとして、それを適用してはい終わりとすることのどこが倫理的なのだろう。

 驚きというのは予期が裏切られたときに起こるものだとすると、驚かないためには予期などしなければよい。だが私たちにはそんなことはできない。たとえば訪ねて来た友人がスキンヘッドになっていて驚くのは私たちが過去にその人が訪ねて来たときの髪型を前とそう変わりないだろうと予期していたためである。そして今、私たちは友人がスキンヘッドにした理由について何らかの説明をくれるものと予期している。過去と現在と未来は複雑に関連しあい、私たちが時間といわれればまっすぐに引っ張るあの一直線を作り上げている。私たちはたしかに意志的にふるまうことができるがその影響は単なる一変数となるにとどまる。

 絶対的な正しさなどどこにもない。だがどこにもないというほどまったくないわけではない。正しいとか正しくないとかは「その程度のもの」なのであり、流されないようにしがみつけるものではなかった。だが一方で、生きている理由とやらも一元的なものではないし、確固たるものではない。

 目的地を失った人は再び最善の目的地を探そうとする。あるいは、ふわふわと過ごす。「これやろう」とふわふわはじめて、「これ」というゲームをはじめる。もうそろそろ目的は終わりにしよう。