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にんじんと読む「フッサール現象学の倫理学的解釈」②

 アリストテレス倫理学における徳とは、善い行為の本質的動機付けとなっている確固たつ性格、習性ないし性向である。徳は身に着けさえすれば苦も無く自動的に有徳な行為ができてしまうように思われてしまう(認知的要素も自由意志もない)かもしれないが、こうしたことは当てはまらない。強制されてやっても有徳ではないだろうし、次のような知を持つ必要がある。

  1.  ある状況が、道徳的次元と関わるか否かについて。
  2.  その状況で行為の目的を達せられるか、またいかにして可能かについて。

  アリストテレスにおける有徳な行為には①知識に基き、②明確な意思決定のもと、③安定的に行う傾向がある、という三要素が関わる。

つまり、アリストテレスにおける倫理的徳とは、倫理的知識と自由意志に基づいて、善き行為へと動機付ける確固たる性格・習性・性向である。

フッサール現象学の倫理学的解釈―習性概念を中心に

 義務論とは違い、感情もまた重要な要素として認められる。得を習得するとは適切な仕方で行為できると同時に、行為に際して適切な感情を抱くという仕方で表れる。徳は称賛に値するという意味で称賛の感情と結びついているし、よろこびの感情とも結びついている。有徳な行為をいやいや行っているのではなく、そこによろこびを見いだしているときにこそ倫理的に価値がある。感情は姿勢を身につけているかの指標なのである。

 アリストテレスは、倫理学というのはその対象の性質上、理論的学問的意味での正確さは期待できないという。人を殺してはいけません、などというわかりやすい規則を提示するのはできないのだ。アリストテレス倫理学は理論よりも実践に重きをおき、アンチ・テオリア的である。これは理論を軽んじて放棄するということではなく、個々の状況・個々の経験に重きをおく立場である。