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にんじんと読む「怒りの心理学」 第二章

第二章 怒りの認知

 人が怒りを感じるときには「被害にあった感覚」と「責任が相手にあるという感覚」が必要である。嫌な思いをしたんだぞ・大切なものだったのに&お前がやったんだ・避けることができたはずだ……という下位要素をそれぞれ含む。責任というものの捉え方は人それぞれであり、被害や責任性を感じやすいことで知られるパラノイド認知とは、他者の言動の背後に悪意や敵意を推測する傾向のことをいう。こうした性格傾向を持つと、当然、怒りを感じやすい。一方、私たちの怒りの多くは、被害感とか責任感とかそういった判断によって起こるというよりも、衝動的なものであることも事実である。判断か衝動かといった問題は議論されているが、両方のプロセスがつねに同時進行的に関わっていると考えるのが適切だろう。

 怒りを感じることがそのままその表出に至るわけではない。怒り表出の積極性には「自己効力」と「結果予期」と「反応評価」が挙げられる。自己効力とは、行動を首尾よく遂行できる信念で、結果予期は行動後に何が起きるかについての予期、反応評価とはそれが良い反応か悪い反応かという評価軸であり他の条件が同じなら人は良いとされる行動をとるとされる。当たり前のように、結果がよければその行動は促される。自己効力が高いと首尾よく行動がやり遂げられるのでより確実にその結果が起こることになるので、ネガティブな結果を予期している場合は、行動が抑制される。逆に自己効力が低いと結果のネガティビティは抑制材料にならない。

 また、ふつう怒りをぶつけるというのは悪い反応だと評価されるのだが、これが正当化される場合もある。誰が何といおうが怒って当然だと思う場合もあれば、怒るのも当然だよというスジの通ったものもあろう。また、「激情神話」といって、怒りを制御不可能で受動的なものととらえる社会信念がある場合は、怒って、それを表出することは当然とされる。

  •  以上のことから「自己効力が高く、結果予期をポジティブに捉えるやつ」「自己愛傾向が強く、自分の怒りを正当と評価しやすいやつ」はキレやすい。

※ 本ではキレやすいと書いているが、「怒りやすい」という感じがする。上のふたつの例はもちろん深刻なケースも含むだろうが、「何をやってんだよ」とか「ちゃんとやれよ」とかそういう””軽い””表出の場合でよく納得できる。にんじん的には……。

※「パワーがないと怒れない」という研究は、よくわかる。注意すべきだと思うのは、ここでいう自己効力というのが行動遂行信念のことで、いわゆる「自信」とは異なるということである。文句や注意を口にすることぐらい自信がなかろうが可能である。

 怒りを表出しない場合がほとんどだが、怒りの表出を我慢するのは苦痛である。その収め方としては「被害・責任の再評価」を行い、加害者に怒る必要がないとみなおすなどがある。

※ 抑え込まれて抑え込まれて、遂に爆発するのを「キレる」と言う感じなのだが、それはどう説明されるのだろう?