にんじんブログ

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なんのために学ぶのか?(日記)

2022.10.11記

 人がものを見るためには背景的な知識が欠かせない。知識があるとより多くのものが見れる。だから学ぶ。これ以外の理由はないように思われる。多くのものが見れる人間は、それが行動に現われて、結局は社会の役に立っている。別に社会の役に立とうと思わなくても社会に資する。社会の役に立ちたい人は自分勝手に勉強すればよいと思う。社会の役に立ちたいと思って、などと言っている場合ではない。

 あとは「いかに学ぶか」が残る。経験ばかりあってもしょうがない。勤続何年のオッサンにたいした考えがあるとは限らないのと同じだ。ものごとを経験するだけでなく、経験したということを反省・観察しなければならない。自分がボールを蹴った経験を思い出し「どうしたらもっと球をコントロールできるのだろう」としか考えられない人間は、観察が足りない。だから誰でも最初は、誰かにいろいろなことをともかく教えてもらうほかない。最も典型的な手段は本である。物理学的な軌道、人体の動き、メンタル面、まだまだ見るべき点はある。そもそも「蹴る」ってなんだったかと問うてもいいし、なんでサッカーなんてやってんだと問うてもいいと思う。問いは切り口である。

 こういうお題目を一通り並べたところで気づく。

 多くのものが見れるという目的を与えたところで、人は動かない。上の文章に納得してくれた人もたぶん何もやらない。人を動かすものは刺激である。最も典型的なものは、「不安」を引き起こさせるような刺激である。健康上の不安があれば誰だってなにかしら勉強しようとする。そのときに多くのものが見れるようになるということを思い出す。内発的動機がどうだの言っている場合ではない。オイルを入れなければ立派なエンジンも鉄屑なのだろう。