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にんじんと読む「味わいの現象学 知覚経験のマルチモダリティ」 第一章

 この本は「味わいこそ知覚経験のモデルである」と主張する。知覚経験というものは五感などが混ざり合っているマルチモーダルなものであり、この特徴を最もよく示しているのが『味わい』なのだ。

 私たちは五感といって、まるで五つの感覚が独立して働いているかのように考えがちである。目をつぶれば前は見えなくなるし、耳をふさげば音が聞こえなくなるので、感覚のそれぞれをひとつの単位として扱ってしまう。この考え方によって、光や空気振動という一定の刺激にのみ反応する感覚器官が想定され、それは特定の回路によって脳につながり、五感のそれぞれの領野に達し、五感のそれぞれが成立する、と説明されるようになる(感覚の「要素主義」と呼ぼう)。これは既に約一世紀前にゲシュタルト心理学によって中心的に批判された考え方ではあるが、もはや完全に浸透しきっており、自明視されている。要素主義の欠陥を明らかにすることも本書の目的に含まれる。

 知覚経験がマルチモーダルなものなら、知覚される対象もまたそうであろう(「相互感覚物」)。対象は知覚経験の進行に応じてさまざまに異なった感覚様相のもとで姿を現す。まるで立体が視点の移動によってさまざまな姿を現すように、知覚経験の対象は、対象とのかかわり合いの仕方に応じて、さまざまな感覚様相のもとで姿を現す。換言すれば、知覚の対象は、主体とのかかわりのなかでその姿を現すあり方をしている。もっといえば、世界は、知覚主体がそのなかで活動し得る場として、あるいは環境として現れているといえよう。ただし、ここでいう世界ということばは、生物学的次元のみで相互作用されるところのものであり、非常に狭いものにとどまっていることには注意しなければならない。

  1.  わたしたちの知覚経験は、基本的にマルチモーダルないし多感覚的である。
  2.  知覚経験の対象はマルチモーダルないし多感覚的性格をもつ。

第一章 知覚のマルチモダリティ

 私たちは知覚というものがいろいろなものが混ざり合ったものであることを知っているが、一方で、それぞれの感覚様相をまったく区別できないなどとは思っていないし或る感覚様相を別の感覚様相に置き換えることなど決してできない固有のあり方をしている。いったいどういうことなのか。

 これについてはヘルダー/ウェルナーによって、発達論的観点からひとつの回答を得ることができるだろう。つまり、上に見た二性格は、知覚の発達段階の違いに対応している、と。すなわち、根源的には多感覚的であったものの、発達に応じて分離・抽象していったのだ。

 だがだとすると、どうして分離しておきながらまだ原初形態が残り続けるのだろう。要するに、知覚にとって上のような二性格を有するというのは本質的なことなのだろうか。あるいはまったく偶然事にすぎないのか? 感覚様相相互の区別と連関を同時に可能とするような感覚のあり方を「感覚のスペクトル」と呼び、まずこれを探っていくこととしよう。