ハッピークラシーは造語で、クラシーは「支配」である。
従来の病理モデルから脱却し、ウェルビーンイング・生きがい・自己実現を手に入れるための科学であろうとした「ポジティブ心理学」は、立身出世のための人生訓を達成可能な目標であるとみなした。幸福度は国家の発展度合いを計測するための中立的な科学的構成概念となっている。このことはウェルビーイングが達成可能な目標であると標榜するポジティブ心理学とともに、国家の抱える政治的・経済的問題が純粋に技術的な次元で解決可能であるかのように思わせる。
一方、幸せな状態になれないのは本人の努力不足であるとみなされ、個人主義と強固に結びつく。
さらに労働に関していえば、「個人はなにか仕事を通して幸せになるのではなく、幸せな人が仕事に成功する」「適切な労働条件が幸せや生産性をもたらすのではなく、ポジティブな心理資本を持った労働者が活気に満ちた職場にする」といわれるような因果の逆転が起こる。そこで企業にとってはそうした労働者を養成することが最優先となり、労働者にとっては高いモチベーションや起業家精神・レジリエントで楽観的、ポジティブであることが仕事の一部になる。『マイレージ・マイライフ』で描かれたような、リストラされた労働者に対して自己変革のすばらしいチャンスであると問題をすりかえる。柔軟さやレジリエンスは、組織の不確実性という重荷を労働者に肩代わりさせてくれるのである。
ポジティビティは商品化され、すべての市民は顧客になる。自己追跡アプリを用いて健康を調査し、監視されながらセルフコントロールを行う。あるいは「自分らしさ」「自分の強み」を商品化するパーソナル・ブランディングを行う。自己改善は際限なく続き、消費も絶えることなく続いていく。
社会学においては身分や家柄によって階層が固定された属性主義と、階層が流動的な業績主義について考えられてきた。だがこれからは感情の階層が制度化される。すなわち、ポジティブ度が高く精神疾患の度合いが低い人だけが、機能的・健康・正常・幸福・善であるとみなされる。しかしたとえばデモなどは悲しみや怒りによって引き起こされるものであり、これらの感情をネガティブとして一蹴することはおかしく、重要なのは幸福ではなく、あいかわらず、知識と社会正義と批判的分析である、と思われる。