にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

にんじんと読む「老年学に学ぶ サクセスフル・エイジングの秘密」第二章

第二章 「老いの価値」「老いの意味」

 エイジズムとは、高齢者に対する差別と偏見のことである。その根は非常に深く、誰もが老いを<徹底的な若さの喪失><老衰に向けての後退><社会のお荷物><無力で依存した存在>であると定義してしまう。

 医療従事者でもその通りで、老年期を第二の幼年期とみなし、育児語を使って高齢者を子ども扱いする。家族でもない者が高齢者に向かっておじいちゃん・おばあちゃんと呼びかけたり、お注射ですよという言い方をする。だが老年期に人間の精神機能が退行し子どもにかえっていくというイメージはナンセンスであり、凶悪な神話のひとつである。正常な老化による身体機能の低下は80歳前には起こらないものだが、老け込んだんだとふさぎこめば早く機能低下が起こる。「年寄りとして扱われることで、老け込んでしまう」のである。

 心理学でも高齢者は日の当たらない存在であったが、ユングが老年を「人生の午後」といって午前とは違う段階を迎えたのだと指摘した。午前の目的は生物的な、自然的なものだったが、午後は文化目的に資する。そこでは以前までに価値ありとされていたものを評価し直し、別の物語に移行する。

  •  労働と生産を至上原理としてきた職業的生活から、余暇と自由を大切にする個人的生活への転換。
  •  自然目的から文化目的への転換。家族を養うためには社会的地位を得てそれを保つことが求められるが、それを保つためにはいろいろな特殊な能力を社会から押し付けられる。しかし老年期にはそういったものは不必要で、もっと利害を離れたより独創的で内面的な教養へと道を譲ることになる。
  •  所有から存在へ。ステータスから、内面に向けかえられる心。

 だが中にはこの転換を受容できない高齢者もいる。あるいは無関心に振舞おうとする者もいる。自分の地位にしがみつき、引退を拒み、いつまでも指導者でいたがる人。あるいは熱を向ける対象を失い何ものにも興味がもてなくなる人。