基礎づけ主義
基礎づけ主義とは、全ての正当化された信念は、最終的に、他の信念によって正当化される必要がない基礎的信念(basic belief)に依存するという考え方である。あるいは、私たちの知識や認識的な正当さがそれ以上証拠が必要ない確実な事柄に基づいているという考え方(現代認識論入門: ゲティア問題から徳認識論まで)である。基礎づけ主義は、次のような推論によって要請される。:
- 証拠の連鎖が無限に進行すると仮定する。
- もしそうであれば認識的な正当さは手に入らない
- ある信念は認識的に正当である
- よって矛盾。証拠の連鎖は無限に進行せず、連鎖は止まる。すなわち、基盤的信念が存在する。
つまり基礎づけ主義をとらなければ、私たちの信念はすべて正当化されておらず、つまりまったく何も知らないことになる、とする主張である。無限に証拠が遡るなら正当化されないし、単に無根拠に信じられているものに帰するならやはり正当化されないし、ぐるぐると循環しもとの信念に戻ってきてもこなくてもやはり正当化されない。どこかで止まると考えるほかはない。
哲学者ハークは基礎づけ主義の一般的特徴を定式化する。
- 正当化された信念には基礎的なものがある。基礎的信念はいかなる他の信念の支えからも独立に正当化される。(基礎的信念の存在と特性)
- 全ての他の正当化された信念は派生的である。派生的信念は、直接的であれ間接的であれ、単数あるいは複数の基礎的信念の支えを通じて正当化される。(派生的信念の特性)
(1)で、基礎づけ主義にはさらに強いバージョンと弱いバージョンがある。
- (強い基礎づけ主義)基礎的信念は経験やその信念自身などによって完全に正当化され、後からさらに正当化されたり覆されたりすることがない。
- (弱い基礎づけ主義)基礎的信念は経験やその信念自身などによってある程度は正当化されるが、さらに正当化されたり覆されたりしうる。
(2)で、基礎づけ主義にはさらに純粋なバージョンと純粋でないバージョンがある。
- (純粋な基礎づけ主義)派生的信念は、基礎的信念からすべての正当化を受け、他の派生的信念によっては正当化されない。
- (純粋でない基礎づけ主義)派生的信念はある程度は基礎的信念によって正当化されるが、他の派生的信念によってさらに正当化されうる。
このように、組み合わせて4通りの基礎づけ主義を分類したところで、ハークの反論を見て行こう。
<基礎づけ主義に対するハークの反論>
- 正当化関係はある一つの信念がもう一つの信念を正当化するというような一対一の関係である必要があるのか?
- 正当化関係の矢印が一方向である必要があるのか(支え合い)? 基礎づけ主義は循環を嫌っているが、たとえば純粋でない基礎づけ主義は派生的信念間での「相互扶助」を認めているように、循環だからといって悪いものとは限らない。
次に個別的な議論、弱い・純粋でないものに対する反論を挙げる。
- 弱い基礎づけ主義は、基礎的信念が経験かその信念自身によってある程度正当化されるという。たとえば目の前に犬がいるという信念は感覚経験によってある程度正当化される。だがその信念自身以外にも、たとえば目が正常であるという信念や、精巧に作られた犬のフィギュアはここにはないといった信念によって正当化されうるだろう。だがこのことは、基礎的→派生的という正当化しか認めない基礎づけ主義の方針に反する。
- 純粋でない基礎づけ主義は、派生的信念の正当化を基礎的信念任せにせず、そのほかの派生的信念の力も借りるのだった。それならもはや基礎的信念という特権的な信念を認める必要がどこにもないことにならないか。
整合主義
整合主義は、信念が正当化されるのは持っている信念体系とその信念が整合的であるときだと主張する。基礎づけ主義の失敗から別の選択肢を考えなければならない。循環を認めないという立場もあるが、その場合、いつまでも正当化が終わらないとしかいいようがない(基礎づけ主義は採れないため)。あるいは循環を認めるという立場がありうる。循環しいずれ止まるのか(1・・・k・・・k・・・n)、循環し止まらないのか(1・・・n・・・)。整合主義は「止まらない」と答える。整合主義者ならすべての信念は派生的であると言うだろう。その信念の正当性は基礎的信念と結びついていることではなく、他の信念たちと整合的に結びついていることによってもたらされる。整合主義における正当さはその信念が整合的に属する信念体系の大きさに依存する。
- 基礎づけ主義においては基礎的信念の正当さが派生的信念に「伝達」される。
- 整合主義においては信念の正当さは「発生」する。
ところがこの整合主義には問題がある。
- 現実世界とまったく関係のない整合的なだけの信念体系が正当化されていることになる。
- 整合的な信念体系はいくらでも作ることができ、すべて同等になってしまう。
- 整合性が正当化を生み出すという主張をどう正当化するのか。基礎づけ主義の場合は「こちらの正しさがこっちに移る」とある程度自然な説明をすることができるが、整合主義は正当さとは一見して関係のありそうにない整合性という概念を持ち出してこれこそが根拠だと主張している。このメタ正当化問題をクリアしなければ整合主義は『整合性が正当化を生み出す』ことを基礎的信念とする基礎づけ主義になる。
基礎づけ整合主義
ハークはこう整理する。
- 基礎づけ主義は正当化の一方向性を要求するが、整合主義はしない。
- 整合主義は正当化が信念間の関係のみの問題であることを要求するが、基礎づけ主義はそれを要求しない。
- それゆえ、信念以外のインプットを認める説は整合主義ではなく、一方向性を要求しない説は基礎づけ主義ではない。
- つまり、信念以外(経験)のインプットを認め相互扶助を認める説は、基礎づけ主義でも整合主義でもない。
これが『基礎づけ整合主義』である。
- 正当化に経験が関わることを認めるためには、正当化の因果的側面と論理的側面の関係を明らかにする必要がある
- 適切な相互扶助と悪循環との違いを説明する必要がある。
これらを順に見て行こう。
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4.2から異様に論述がわかりづらくなる。一旦中止