内容
本稿の目的は、企業不祥事を倫理的に評価するための新しい理論的枠組みとして「組織の徳倫理学(Organizational Virtue Ethics, OVE)」を提案することである。従来の徳倫理学は個人の徳を中心に論じてきたが、現実の企業不祥事は組織文化や制度設計に由来する側面が強く、個人の倫理的失敗だけでは十分に説明できない。著者は、組織そのものを倫理的主体として捉え、組織に「徳」を帰属する可能性を探る。
まず先行研究の検討がなされる。Solomon は企業にも友情や忠誠のような徳が存在すると述べたが、理論的基盤は不十分であった。Schudt は、企業には人間と異なり「欲求」が存在しないため、効率性など異なる種類の徳があると主張した。これに対し Gowri は、企業にも欲求を認め、中庸の概念を組織に適用できると論じた。また Moore & Beadle はマッキンタイアの実践/制度の枠組みを応用し、有徳な組織は外在的善の過剰な侵入を制御できるとした。だがこれらの研究はいずれも「組織の徳とは何か」を明確に定義しておらず、理論的に十分ではない。
そこで著者は、Bishop (2012) の議論を手がかりに組織の徳を定義する。Bishop は、組織に徳を帰属するためには三つの条件が必要だとした。すなわち、(1)組織自体が繁栄していること、(2)その繁栄が人間の繁栄と両立、あるいはそれを促進すること、(3)組織が性格特性に相当する習慣やパターンを形成できることである。著者はこれを踏まえ、組織の徳を「ステークホルダーの繁栄を構成する性格特性」と定義する。この定義によって、組織に人格を擬人化することなく、制度的・構造的な行動パターンとして徳を理解する道が開かれる。
次に具体例として「信頼性(trustworthiness)」が論じられる。不祥事後に企業はしばしば「信頼回復」を掲げるが、重要なのは「信頼されること」ではなく「信頼に値すること」である。Mayer et al. (1995) を参照し、信頼に値する組織の条件として、能力(ability)、善意(benevolence)、インテグリティ(integrity)が提示される。これらの性格特性を備えた組織は、ステークホルダーの繁栄に資する有徳な組織と評価できる。
さらに、評価の基準として Swanton の徳倫理学が導入される。Swanton によれば、行為が有徳であるとは、それが徳の目標に適っている場合に限られる。この枠組みを組織に適用すれば、組織活動が有徳か否かは、それが信頼性などの徳を体現しているかどうかで判断できる。
本稿はこの理論を、日本のかんぽ生命の不適正募集問題に応用する。この問題は局員個人の不正として説明されがちだが、実際には達成困難な営業ノルマ、過度のプレッシャー、内部統制の欠如といった組織的要因が背景にあった。OVE の観点からすれば、日本郵政グループは「能力・善意・一貫性」という信頼性を欠いていたために不徳であると評価できる。こうして、不祥事を個人の逸脱ではなく「組織の性格的欠陥」として説明することが可能となる。
結論として、組織の徳倫理学は、従来の個人中心の徳倫理学では捉えにくい企業不祥事の評価に有効であるとされる。本稿は組織の徳を「ステークホルダーの繁栄を構成する性格特性」として定義し、具体例として信頼性を論じ、ケーススタディを通じて応用可能性を示した。ただし、信頼性以外の徳をどう同定するか、また OVE の理論的長所と短所をどう評価するかといった課題は残されており、今後さらなる研究が必要である。
感想
この論文は「組織の徳」という概念を導入することで、不祥事を個人の逸脱に還元せず説明しようとしている。しかし私の評価では、この目的のために「組織の徳」を持ち出すことはまったく必要ではない。なぜならマッキンタイアの枠組み(というより徳の発達のための環境)を参考にすれば、徳と制度的文脈はそもそも表裏一体であり、個人の責任を追及すれば必然的に制度や共同体の在り方が同時に問われるからである。
従来の徳倫理学は個人の徳を中心に論じてきたとはいうものの、マッキンタイアが提案している徳倫理学は徳の発達のために、個人の背景にある社会というものを織り込んでいる。言い換えれば、ある社員の不正は単にその個人の倫理的欠陥を示すのではなく、組織文化や制度の粗さを露呈させる。マッキンタイアを踏まえればこれは自明のことであり、「組織にも徳がある」と改めて言う必要はない。むしろ組織を擬人化し、性格特性を持つ主体のように扱うことは、かえって問題を曖昧にしかねない。
したがって、この論文が提示するOVE(組織の徳倫理学)は、少なくとも今のところ、理論的には冗長な試みと映る。評価すべきは「不祥事を個人責任に還元しない」という動機だが、そのための方法論として「組織徳」を掲げることには独自の意義を見出しにくい。むしろマッキンタイアに立脚すれば、個人と制度の関係性はすでに十分に説明されており、「組織の徳」を導入しなくても同じ目的を果たせるように思える。
