にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

にんじんと読む「サピエンス異変(ヴァイバー・クリガン=リード)」🥕 紀元前3万年~西暦1700年

 

紀元前3万年~西暦1700年

  •  定住の文化がいつ頃から始まったのかは定かではない。狩猟採集社会から農耕社会への転換を「農業革命」と呼んだのはアルビン・トフラーであるが( 第三の波 (中公文庫 M 178-3))、この革命は一時に起きたものではなく、各地で次第に定着していったものである。定住がもたらした良い側面は現代のいろいろな便利さにあらわれているが、諸悪の根源だという見方もある。
  •  紀元前3万年前には既に、人類が園耕(えんこう。雑多な植物の栽培)をしていた証拠がある。だが農耕と呼ぶにはほど遠いものだ。とはいえ、もうこの頃には野生に実っているものをそのままパクパクやっていたのではなく、石臼をひいたり、バーベキューしたり、食品加工が見られる。お肉を焼いて食べるようになったのは幸いなことだ。栄養たっぷりの肉が消化しやすくなり、たいへんな貢献をしたからだ。
  •  農業革命以後にできたのはやはり「貯蔵」というテクノロジーである。とはいえ、「貯まった食料をいかにするか」ということがさまざまなものを生んだ。物々交換の交易は、相手のほしいものがなかったときのために、石や家畜などを原始的な貨幣として取り扱わせた。家畜との共存が感染症に繋がったという話もある。また、食料分配の不平等がそのまま権力に通じた。権力を実現するためには権力をふるう具体的な武力が必要とされた。宗教はこうした不平等の階層構造を正当化する道具にもなった。また、運動不足によって運動が際立つ。運動などことさらに言わなくても十分な運動をしていた時代はあったのだから。

 

【断食の効用】

 農業革命によってある程度安定的に食料が供給されるようになると、ありがたいことに、私たちはいつでもご飯が食べられるようになった。ところが残念なことには、私たちの体は既に「断食」に慣れてしまっている。なにしろ、『断食がその初期(二日目から七日目)においてうつ症状に影響を与え、気分、覚醒、落ち着きを改善するという臨床観察が多く得られている』(サピエンス異変――新たな時代「人新世」の衝撃)のだから。エネルギー摂取を制限すると、健康度を示す検査値は改善し疾患の進行が食い止められる。

 

 

にんじんと読む「神社のことがよくわかる本(外山晴彦)」🥕

 

「要約」ではなく、「にんじんと読む」ですのでご注意ください。

 

第一章 神社の発祥とその経緯

 自然崇拝・祖霊信仰。古代からのこうした信仰が神社の基本です。たとえば「山」「森」に神秘の存在を感じ、山や森自体を神体そのものと考えることもあります。このような山や森を「神奈備(かんなび)」といいます。祖霊信仰というのは、つまりはご先祖様のことで、これもまた信仰の対象です―――つまり神社はほとんどなんでもアリであり、日本中に溢れかえっています。儀式なんかも神社により、上下関係はなく、それぞれ独立しています。

 なにかを素朴に信仰するのに、ドデカイ建物は必要ありません。神様にお祈りするときは臨時の祭場を設けました。ストーンサークルや、神籬(ひもろぎ)、あるいは四方に竹をたててしめ縄を張り巡らせたりしました(これも神籬のひとつ)。こうした仮設祭壇を屋代(やしろ)といい、仮設ではなくそこに腰を据えたものを神社(じんじゃ。かみのやしろ)というわけです。語源的には神社は神様の臨時出張所で、お祈りのときにおりてきてくれるところです。一方、神様の常駐しているところを「宮」といいます。現代では神社も常駐場所として理解されています。

 神社思想はそのあたりに住んでいる人たちが自分なりにやってきたので、まとまりがありません。というわけで理論化を試みるのですが、これを「神道(しんとう)」といいます。さまざまな理論がみられましたが、そもそも教義が薄いのでうまくはいかず、仏教や儒教から拝借してくるありさまで、完成と呼べるところまでは行きつきませんでした。

 

第二章 祀られる神々の系譜

 神社に祀られる神を「祭神」といいます。先も述べたとおり、祭神は本当に多様なため、自然や自分の祖先だけに限らず、歴史上の人物まで祭神になります。それどころか『古事記』に登場する神キャラ(といったら失礼なのだろうか)まで祭神になります。こうなると『ガヴリール・ドロップアウト』だろうが祀ってもよさそうですがどうなのでしょう(当たり前ですが、本の中にはガヴドロの名前は出てきません)。

 歴史上の人物といえば、祭神になるのは天皇です。天皇以外ではじめて祭神となった人物は天満宮菅原道真です。菅原道真は頭がよかったから学問の神様になったわけではなく、頭がよかったがために最悪な目に遭わされ死んだので、「さすがにヤバイ。これは祟りがあるだろ」となったため、落ち着いてくれと祈るために祭神になりました。

 それから仏教と関連があるキャラ(よく知らないのでごめんなさい)も祭神になります。弁財天とか、牛頭天王というひとたちが代表的な例だそうです。

 

ちなみに『アカギ』の赤木しげるの墓は、横須賀にあります。

cafe-bar.click

アカギ-闇に降り立った天才 1

 

第三章 神社の見方

 神社といえば「狛犬(こまいぬ)」「鳥居」「楼門」「石灯篭」「社紋」があります。神社思想が多様なのにこうした共通性があるのはなぜなのかが気になります。鳥居に関しては、門としては原始的な・ありがちな作りらしいです。

 

 

 

神社のことがよくわかる本

神社のことがよくわかる本

  • 作者:外山 晴彦
  • 発売日: 2008/02/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

にんじんと(ちょっと)読む「おいしさの科学(佐藤成美)」🥕

 思いがけず短くなったので「(ちょっと)」とつけた。

 甘味・塩味・うま味の三つが好まれ、酸味や苦味は好まれずらい。なにがおいしいかというのはこれを基本(生物的条件)にして、経験的に定まっていくことで、生涯通じて変わっていくものだろうと想像される。

 

おいしさの科学

 「おいしさ」を感じるのは脳である。

  1.  食品側の要因 味・テクスチャー・温度・見た目・音
  2.  人側の要因 生理的要因・心理的要因・背景要因(食経験、食習慣)
  3.  環境要因 自然環境、社会環境、人工的環境(食卓、食器、部屋)

 さまざまな要因を統合して、おいしいと感じられる。

 味覚はその要因のひとつにすぎない。味覚は「甘味」「塩味」「うま味」「酸味」「苦味」から成る。最初の三つは、糖分、ミネラル、アミノ酸核酸、といったもののシグナルになっている。一方、苦味や酸味はふつうには好まれないが、経験的に安全だとわかれば食べられるようになる。つまり、おいしく感じられるようになる。

 おいしさは生体維持のために備わった快感だといえる。食べてよいものかどうかを判別し、脳は食欲を生み食べさせる。

 

 

にんじんと読む「法華経とは何か(植木雅俊)」🥕 ②

 釈尊は絶対者や、生きた神ではなく、一人の人間だった。

 だが釈尊の神格化そして教団の権威主義化は百年後には確実なものになった。これまでは釈尊のことを気軽に「ゴータマ」や「君」と呼んでいたのだが、そのように呼んでは長期間にわかって不利益なことと激しい苦しみを受けるだろうと恫喝しさえした。釈尊の神格化とともに、小乗教団は出家者の修行の困難さを強調し在家の者には及びもつかないものだということを強調した。「その出家者ですら仏に近づくことしかできないのだからお前らときたら」という意味で、出家者を権威づけたのである。しかし原始仏教においては明らかに在家のままで悟りを認めていたのである。ところが小乗仏教にいわせるとブッダになれるのは釈尊ただ一人である。また彼らは女性は穢れていて成仏できないと言い始めた。しかし原子仏典では女性も悟っている。

 以上のように、釈尊入滅後五百年『法華経』に至るまで教団は大きく変化した。法華経小乗仏教に対して、「原点を見直してみろ」と言っているのである。釈尊は差別や階層を生み出すために教えを説いたのではなかったはずだ。

 

 

法華経を読む (講談社学術文庫)

法華経を読む (講談社学術文庫)

  • 作者:鎌田 茂雄
  • 発売日: 1994/02/04
  • メディア: 文庫
 

 

にんじんと読む「食の歴史 人類はこれまで何を食べてきたのか(ジャック・アタリ)」🥕

はじめに

 人は胎児のころからなにかを食べているし、生まれてからもなにかを食べる。そうして食べることはたいてい話をすることと結びついていた。「食」というものには生命を維持する以上の役割があり、他者・自然・動物との関係を定めるのはまさにこの「食」を通じてのことである。するとまた食文化というもの、つまり農業、料理法、食生活等々はわれわれの住まう社会の基盤であったわけだ。社交上のルール、社会的な人間関係の構造を長年にわたって定めてきたのは食である。

つまり、食は歴史の中核に位置する重要な人間活動なのである。

食の歴史――人類はこれまで何を食べてきたのか

  しかしわれわれはもはや、食べることと話すことの結び付かないところへ来ている。日常の食事に割く時間はたいへん少なくなり、これは世界中の傾向にもなっている。なぜこんなことになったのか。『いつも独りで外食し、汚染された野菜や肉、そして加工食品だけから栄養を摂取する日が訪れるのか』? 食が生み出してきた豊饒な社会はさまざまな側面において壊れつつある。だからこそ、いまひとたび、『これまでの世代の食生活、彼らが食に費やした時間、彼らが職を関連付けた社会的なつながり、彼らが食に費やした金、食の上に築かれ、そして食によって滅びた権力を探求してみるべきだろう』。

 

第一章 さまよい歩きながら暮らす

 1000万年前、ヒトの最も古い祖先は全員がアフリカ大陸にいた。彼等は樹上を移動しながら、果物や昆虫などを食べていたと考えられる。この頃はまだ火や言語は生まれていない。気候変動にも遭い、地面に落ちて発酵した果物などもつまみながら、猿人たちは移動を続けた。このうちヒトとチンパンジーで分岐していくわけだが、彼らのノマド的生活は果物食べ歩きの必然性から数百万年も続くことになった。

 300万年前、われわれの祖先「アウストラロピテクス」は、気候変動により森林を失うはめになった。アウストラロピテクスは生きるためにある程度固まって動くようになり、採集した食べ物は共有された。『こうした行動がアウストラロピテクスの知能と協力体制の発展を促した』。

 230万年前、このアウストラロピテクスから枝分かれした種が「ホモ・ハビリス」である。彼等がアウストラロピテクスと違ったのは、道具を扱う能力だ。彼等はまだ言語を持たなかったが、道具を用いていろいろなものを食べた。

 200万年前、ホモ・ハビリスから枝分かれした「ホモ・エルガステル」が現れた。エルガステルとは職人を意味することばである。石の破片から石斧をつくり、捕獲した動物を切断したりした。彼等は自分で火をおこすことはできなかったが、火を利用したと考えられる。栄養価の高い食物によって腸が短くなり、胸と腹が引き締まり、脳は多くのエネルギーを得て発達した。

 170万年前、ホモ・ハビリスは姿を消したが、「ホモ・エレクトス」が現れた。彼等はアフリカを発ち、ユーラシア大陸に広がっていった。

  •  中国へ向かった一団には火の利用が見られ、焼けた食物が消化によく脳はさらに多くのエネルギーを利用できるようになった。また、焼くことで食べものが増え、火によって寒い所にも進出できるようになった。夜はみんなで火を囲んだ。
  •  ヨーロッパではホモ・エレクトスは姿を消し、「ネアンデルタール人」が現れた。彼等の食事の八割は肉食で、狩猟用の道具を用いて大型動物を仕留めて暮らした。このように肉食中心だったのは、住んでいた場所が寒冷地や荒れ地だったからだ。彼等はその後、アフリカに戻ったと考えられる。というのも、ホモ・エレクトスと交雑した証拠が残っているからだ。

 20万年前*1、「ホモ・サピエンス」が登場する。ホモ・サピエンスホモ・エレクトスから枝分かれしており、ネアンデルタール人とは別の枝に属することになる。ホモ・サピエンスはアフリカで生まれた。彼等は脳容積が大きく、多くのエネルギーが必要だったため、大量のたんぱく質を必要とした。食性は多様だが、たいていは野菜を食べ、資質と炭水化物を摂取した。彼等は火を使って調理をすることで消化するためのエネルギーを節約し、その分を脳に回した。

 7万年前、言語獲得(認知革命)。そして遂に彼らは、アフリカ大陸を離れた。その後、ネアンデルタール人と会い、交雑。ここでネアンデルタール人はなぜか絶滅する。また、アジアに進出した際は「デニソワ人」というホモ・エレクトスの枝分かれ種にも出会うが、彼らもまた絶滅した。ホモ・サピエンスの歩くところ、その他の人類種が死に絶えていくが、遂に1万3000年前、人類はホモ・サピエンスのみとなり、他の種はすべて滅んだ。サピエンスはこのあいだにもオーストラリア大陸アメリカ大陸にさえ行きつき、そこに住んでいた大型生物をあっというまに絶滅させている。

 1万2000年前、農業革命が起きる。総人口が増え、彼らのうちに食料を作り出さなければならない必要が生じてきた。そのためには定住化しなければならなかった。詳しkは、『人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)』などを参照のこと。

 

第二章 自然を食らうために自然を手なづける

 葬儀の痕跡から、定住民のあいだには格差が生じていたことがわかっている。農場、土地、家畜、子供、収穫物などの富が蓄積されていく。ここに経済のはじまりをみることができる(父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。)。食事は発言ならびに自己主張の場であり、権力者は宴を催した。権力は軍事力を、国を、法を産んでいく。上下関係を正当化するものは宗教だったとも考えられる。

 食事中の会話は親交の証であった。メソポタミア社会では食の分かち合いを拒む行為は敵対心の表われ、あるいは毒殺の意図があるとみなされた。会食にとって、食べるという行為は副次的なことにすぎなかった。

 

 

 

第六章 監視された沈黙のなかでの個食

 蓄積された富をどのように分配するか、つまり権力の分配は「食」とともにあった。それ以前の時代は、食事のための時間というものはなく見つけたものを生で食べていた。それが定住化以降は、食事の時間に会話をし、言語を発達させ文化を築き、社会と権力を構造化した。それが現代にいたり、食事には会話がなくなりつつある。太古の時代の食習慣に戻ったのである。独りで、ときには立ったまま、時間と場所に関係なく、携帯できる食物を食べるようになったのである。

 台所という料理専用の部屋は、いま、リビングと一体化した「アメリカ式キッチン」によって消えつつある。食事をするためだけの部屋である食堂などない。ひとはご飯を食べながら、会話するのではなくテレビを見る。いまは一つの画面だが、次第に各自が別々の画面を見るようになるだろう。調理というものも間もなく姿を消し、主流となるのは出来合いの料理と保存食、冷凍食品になる。ひとびとは好きな時間に冷蔵庫や自販機にやってきてちびりちびりと食べるようになる。あるいは、粉末状か液体状の食品が普及し、きっと「スマートフード」などといわれて、これらこそ摂取すべきものだともてはやされることだろう。とはいえ、完全に切り替わるのはなかなか難しい。というのも、咀嚼するということも栄養を得るうえで大事なことだからだ。ある起業家が粉末食に切り替え、月に30時間節約することを試みたが、バカらしくなって二日でやめてしまった。

 会食が培ってきた、時間の共有、懇親、意見交換、共通の認識の形成といったような役割は現在の傾向が続くと失われるだろう。まず最初になくなるのは朝食で、各自が自分のスケジュールに応じた好き勝手な時間に「個食」を行う。そして次に昼食がなくなる。それから夕食がなくなる。決まった時間や場所でものなど食べない。ちびりちびりと、腹が減ったら携帯食をかじる。徹底的に実務的な食に残された最後の楽しみは、工業生産された脂肪と砂糖たっぷりの模造食品になる。

 孤独感を糖分で癒すようになる傾向には拍車がかかる。脳が苦痛を感じると糖分によって緩和させようとする。こんなことはいけない、と医師は推奨するだろうが、そこでもやはり食というのは会話を楽しむことではなく健康調整である。体重やBMI等々さまざまな影響を監視する手段が提供され、ひとびとは自由に食を楽しむのではなく他人から課せられた規範に従いだす。きっと最後には個人の遺伝的特性まで把握され、食にあれこれケチをつけはじめるだろう。われわれはデータを提供し、各社が販売する健康促進グッズの指示にいつも気を配りながら、黙り込んで栄養を摂取する。指示に従わない者は内心で罪悪感を覚えることさえあるかもしれない。だが、糖分は唯一の「自分へのごほうび」として機能する。

 ひとは沈黙の監視社会で、過食によって死ぬ。2045年には肥満が人類の1/4を占め、8人に1人がⅡ型糖尿病者になっている。

 

 

日本の食文化史――旧石器時代から現代まで

日本の食文化史――旧石器時代から現代まで

  • 作者:石毛 直道
  • 発売日: 2015/11/28
  • メディア: 単行本
 

 

付属文書

 五つの基本味は、

  1.  甘味(ショ糖の味)
  2.  塩味(塩化ナトリウムの味)
  3.  苦味(キニーネの味)
  4.  酸味(クエン酸の味)
  5.  うま味(グルタミン酸の味)

 である。舌に伝えられるさまざまな刺激を統合して、脳が複合的な味をつくる。

 

 ヒトが摂取した食物は「水」「エネルギー(cal)」「タンパク質」「脂質」「ミネラル」「ビタミン」「炭水化物」「酵素」にわかれる。

  •  は人体にとって最大の構成要素であり、細胞から細胞への運搬役を務める。人体から体内の10%の水分が失われると生命に危険が生じる。
  •  カロリーは熱量のことで、1kgの水の温度を1℃上げるために必要な熱量が1kcalと定められている。食におけるカロリーというのは、細胞の代謝過程での燃焼あるいは酸化反応によって放出されうる熱量のことである。安静時の大人の基礎代謝量は毎秒18calなので、一日当たり2851kcalほど何もしていなくても熱が出ている。
  •  タンパク質は、C・H・N・Oの元素から成る、細胞とそれによる組織の形成+維持を行う栄養素である。タンパク質はアミノ酸からできており、アミノ酸の種類は「カルボキシ基」等々の小脇にくっついている部位によって決定される。それらの組み合わせにより、人体は三万種類ほどのタンパク質を生成する。ところがこの「タンパク質生成のためのアミノ酸」20種類のうち、人体は11種類しか合成することができず、それ以外のものは食事によって補う必要がある。これらは必須アミノ酸と呼ばれている。
  •  脂質は、C・H・O・アルコールの四つからなる脂肪酸から構成され、体温を維持してくれる。75kgの人物なら9.2kgは脂質(=脂肪)がないといけないが、脂肪が増えすぎると心血管疾患のリスクが増す。天然の脂肪酸(乳製品・肉類)と人口の脂肪酸があり、人口脂肪酸は食品の保存料として利用され、菓子パン、シリアル、サンドウィッチ、ピザなどに使用される。これらを過剰摂取すると、心血管疾患や2型糖尿病のリスクが増す。
  •  ミネラルは、人体細胞の内液と外液と骨格を維持する主要な4元素(酸素、炭素、水素、窒素)以外のものの総称。カルシウム・リン・亜鉛などもここに含まれる。
  •  ビタミンは、体内の化学反応の触媒として機能する。
  •  炭水化物は、おもに糖(グルコース・フルクトース・ガラクトース)とでんぷんのことで、C・O・Hからなる。糖分を摂取すると脳はドーパミンを放出する。
  •  酵素は、生体において直接消化できない食物を分解し、人体を正常に機能させる

 

動物の解放 改訂版

動物の解放 改訂版

 

 

にんじんと読む「バカの研究(ジャン=フランソワ・マルミオン)」🥕 バカと知性

知性が高いバカ

 知性とバカの関係はどのようなものだろうか。バカは知性の欠如なのか。しかし、どれだけお勉強してもバカなことをするやつはいる。

 知能検査にはいろいろあるが、まず第一に「アルゴリズム的知性」をはかるもの。これは物事の意味を理解したり、論理的に思考したりできる知性である。いわゆるインテリはこの検査でよいスコアを出す。そして第二に「合理的知性」をはかるもの。これは現実の状況を考慮しながら目標を実現するために意思決定できる知性である。喫煙のリスクが高いことを理解ながら喫煙するのは合理的知性が高いとはいえない。この二つはいわば「運転テクニック」と「正しいルート選択」のようなもので、いくらテクニックが優れていようが、あさっての方向に走るバカをやることがある。

 するとどういうことになるのか。合理的知性を高めればバカにならずに済むってわけか。しかし、そうはならない。合理的知性を身に着けようが、ひとは〈バイアス〉によってバカになる。要するに、あるレベルまではバカから逃れることはできないのだが、ルートをはずれたバカ行動はクリエイティビティにつながることがある。

  •  批判的思考とは、目的に応じて論理的な考え方ができ、その能力を適切に使うことができる認知能力をいう。つまりはバイアスをはねのける能力のことだが、はねのけられないとバカをやる(※次章の内容)。

 

お!バカんす家族(吹替版)

お!バカんす家族(吹替版)

  • 発売日: 2015/11/18
  • メディア: Prime Video