にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

哲学

にんじんと読む「現代哲学の真理論」🥕 ①

① 真理論が共有してきた前提は、それを『特定の文化や社会を超えた確固不動の何かに支えられた観念とみなす』ということであり、これはそれを否定するという意味で相対主義者や懐疑主義者も同様であった。ところが二十世紀に入り、このような前提そのものが…

にんじんと読む「フッサール現象学の生成」🥕 序~第二章

序 フッサールにはじまる現象学は、テキストをきちんと読めばわかるもので、現代的意義を有していることが理解されるというのに、歴史的にはいつも批判ばかりされてきたしその批判を前提として議論を進めているような例も数多い。本書(「フッサール現象学の…

にんじんと読む「哲学へ ヤスパースとともに」🥕

万人の哲学と哲学者の哲学 人は誰しも哲学する。「哲学」というものを一義的に説明できないとしても、「哲学する」という人間のはたらきは万人に共通するものなのである。哲学とはphilosphy、つまりギリシャ語由来の””知を愛する””という言葉をもとにする。…

にんじんと読む「知識の哲学」🥕 第四章END

第四章 知っているかどうかということは心の中だけで決まることなのだろうか? その人の信念が事実として信頼のおけるプロセスで作り上げられてさえいれば、そのプロセスのことなど知らなくても正当化されているというのが信頼性主義だった。だがなんだかよ…

にんじんと読む「フッサール現象学の理路」🥕 第一章のみ

第一章 現象学の理念と方法 根本的に新たな始まりを求めるデカルトの指導理念は、デカルトにおいては主観へと転じられた哲学において達成されなければならない。なぜか。第一に、哲学の全面改革は個人の中に生じるしかないから。もし共同研究をしているにし…

にんじんと読む「知識の哲学」🥕 第三章

第三章 基礎づけ主義から外在主義へ 基礎づけ主義者を打ちのめす五つの前提は次のようなものだった。 前提(1) 基礎的な経験的信念が存在するとする。 前提(2) 信念が認識論的に正当化されているためには、それが真であるとすべき何らかの理由がなければなら…

にんじんと読む「はじめてのスピノザ」🥕

コナトゥスと欲望 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。 はじめてのスピノザ 自由へのエチカ (講談社現代新書) エチカ、第三部定理七 ここでいう「努力」をコナトゥスconatusといい、つまり「自分の存在を維…

にんじんと読む「知識の哲学」🥕 第二章

第二章 知識に基礎づけが必要だと思いたくなるわけ 【どの推論でいく?】 命題QがPから推論されるとき(P⇒Q)、演繹には三つの特徴がある。 真理保存性:前提が真なら結論も真 単調性:正しい推論にいくら前提をつけたしても真なものは真 情報量は増えない:…

にんじんと読む「知識の哲学」🥕 第一章

形而上学 …… 世界とはどんなふうにできているのか 認識論 …… 世界がどうあれ、私たちはそれを知り得るのか 第一章 なにが知識の哲学の課題だったのか 知っているとはどういうことか。これについて哲学はこういうふうに定義してきた:「それを信じており、そ…

にんじんと読む「肉食の哲学(ドミニク・レステル)」🥕 ⑤

ここまでの議論は『じゃあ植物はどうやねん』という批判を深めて来たものだが、そのツッコミをする非ベジタリアンの人たちの多くは、自分たちが肉食をすることをまったく正当化できていない。「人間は倫理的なベジタリアンになるのではなく、むしろ倫理的な…

にんじんと読む「肉食の哲学(ドミニク・レステル)」🥕 ④

ベジタリアンが思い描くユートピアでは残酷さが善意とお誂えのルールによって消し去ることができるとされている。ここで哲学者クレマン・ロッセ(Clement Rosset:邦訳はなし)に登場してもらおう。彼曰く、〈真実の残酷さ、現実の荒々しさを緩和しようとする…

にんじんと読む「肉食の哲学(ドミニク・レステル)」🥕 ③

菜食主義の思想を検討するにあたって、哲学者ジョン・ローレンス・ヒルが1996年に書いた『菜食主義の事例――小さな惑星のための哲学』を取り上げよう。彼にはベジタリアンの論理の根本的性格が表れている。つまり、「ベジタリアンの態度はつねに、どこまでも…

にんじんと読む「肉食の哲学(ドミニク・レステル)」🥕 ②

carrot-lanthanum0812.hatenablog.com さて、歴史的には古代ギリシャのピタゴラスもベジタリアンであった。その理由は、生き物というのは輪廻転生しており生物というのは元は人間だったものたちであるから、それを食べることはカニバリズム(人肉食)にあた…

にんじんと読む「肉食の哲学(ドミニク・レステル)」🥕 ①

この本の主要な「敵」は、倫理的ベジタリアンである。ベジタリアンとは植物だけを食べることを好む者のことであるが、好む理由はさまざまである。たとえば肉食をしないことが健康にとってよいという理由でベジタリアンになるものもいれば、肉の味をそもそも…

にんじんと読む「スピノザの方法」🥕 第七章

第七章 スピノザの方法 『エチカ』における定義は、発生的定義(=対象の最近原因を含むことでその対象の発生を描き出す)とは異なり、名目上のものとなっている。たとえば『自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考え…

にんじんと読む「スピノザの方法」🥕 第六章

第六章 逆説の解決 〈これまでの復習〉 精神は道を進みながら何ごとかを知り、知ったことが次の知ることを手助けする。何ごとかを知っているかどうかを問う必要はなく、ただその道をいかにして見つけいかにして歩めばいいかを問えばよい。だがこのような方法…

にんじんと読む「スピノザの方法」🥕 第二章

第二章 方法の三つの形象Ⅱ 〈前回の復習〉 何ごとかを知っているということの正しさは、まさにその何ごとかを知っているということだけであって、その正しさをチェックする標識は無用である。真理に到達している人は真理に到達していることを知っている。到…

にんじんと読む「スピノザの方法」🥕 第一章

第一章 方法の三つの形象Ⅰ ものを考えるにあたりわれわれは暗闇のなかをひとり手探りで進まなければならないのか。それともその暗闇のなかには道案内がいるのか。また道案内は可能か。 スピノザの方法 この問いに関わって、スピノザが「方法」について論じて…

(メモ)龍樹、空、言語批判

釈迦が「我っていうのは五蘊から成るんだよ」と言ったので、五蘊について熱心に研究し始めたのが、小乗仏教といわれる人たちだった。あんまり専門的になりすぎ、学問的になりすぎてしまい、やがて大乗仏教といわれる人たちに批判を食らう。それが『般若心経…

(メモ)輪廻思想の三型

インダス文明の栄えたのち、アーリア人たちが進出してきた。そこでできたのが『リグ・ヴェーダ』などの「聖典」である。ここに生じた階層制度に現代のカースト制の起源を見ることができるそうだが、仏教の基礎にある「輪廻転生」の考え方もアーリア人との混…

(メモ)梵我一如、無我

西洋と東洋の思想の違いは「光あれ」で分かたれるという(新編 東洋的な見方 (岩波文庫))。前者は「光あれ」から、後者は光が射す前も射程に置く。理論theoryのもととなったテオリアという言葉は、見るという動詞の名詞形であるが、東洋は真理探究のために…

にんじんと読む「〈つまずき〉のなかの哲学」🥕 第二章

第二章 ヴィトゲンシュタインの人生論 ヴィトゲンシュタインは〈謎〉を、次の形式を持つものであると言った。 私が答えとして受け入れたくなるようなことをしなさい。ただし、私自身はそれがどのようなものであるか知らないが。 おとぎ話に出てくる王様がお…

にんじんと読む「〈つまずき〉のなかの哲学」🥕 第一章

第一章 つまずきとしての〈謎〉を考える 哲学は、「幸福とは何か」など色々な問いをつづけてきたが、どうにもこの問いというのは、ちょっとふつうの問いと性質の違うものなのかもしれない。それは〈謎〉である。たとえばそれは、「ダンプカーがカーブで落と…

にんじんと読む「ささやかながら、徳について(アンドレ・コント=スポンヴィル)」🥕 1.礼儀正しさ

礼儀正しさ 礼儀正しさは、すべての徳の源である。だが徳の源であるからといって、それが徳であるとは限らない。このことを説明するために、個人の成長段階を追ってみよう。新生児には徳行は見られないしそんなことが問題になることはない。乳児でも変わらず…

にんじんと読む「ウィトゲンシュタインとウィリアム・ジェイムズ(ラッセル・B・グッドマン)」🥕 第三章

第二章 ウィトゲンシュタインと『宗教的経験の諸相』 略 第三章 ウィトゲンシュタインと『心理学原理』 ウィトゲンシュタインはジェイムズのことを幾度となく言及し、最晩年に至るまで彼を批判し続けている。だがだからといって、彼から何も学ばなかったわけ…

にんじんと読む「ウィトゲンシュタインとウィリアム・ジェイムズ(ラッセル・B・グッドマン)」🥕 第一章

第一章 プラグマティックな経験の諸相 ウィトゲンシュタインは、その生涯の最後の年にこう書いた――「つまり私は、まるでプラグマティズムのように聞こえることを言おうとしている。ここで私は、ある種の世界観(Weltanschauung)によって妨げられているのだ…

にんじんと読む「現象学ことはじめ」🥕 第一章 第二章

第一章 数えること いったい「なぜ」「何が」「どうなって」いるのか。事象の根拠、本質、構造。それは現実問題「何が必要か」「何が役に立つのか」にアプローチすることでもある。 何かを見ているということと、見えている何かは区別されなければならない。…

にんじんと読む「わたしは不思議の輪(ダグラス・ホフスタッター)」🥕 第七章まで

第七章 ズ~イ伴現象 シンボルは、シグナルを濾過して活性化する。これが結果的に、動物が密接に世界と関わることを可能にしている。成熟した人間は適切な場面で適切に反応することができるが、それは長年写し取って来た外界の現実性を整理してきた結果であ…

にんじんと読む「道徳の自然誌(マイケル・トマセロ)」🥕

同情と公平。これは協力における二つの形「利他的な援助」と「相利共生型の協同」の二つの違いを説明するものとされる。道徳性と呼ばれる協力形態においても無論である。そして同情とは道徳性において基礎的なものであり、血縁選択に基づく子への親の世話が…

にんじんと読む「わたしは不思議の輪(ダグラス・ホフスタッター)」🥕 ~第四章

第三章 パターンの因果的影響力 本書を読み進めるためには、思考する存在が複数の記述レベルで説明可能なこと、およびそのレベル間の相互関係がどのようなものかをはっきり理解する必要がある。 わたしは不思議の環 逆説的にすら聞こえるだろうが、ごく当た…