にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじん放送局にて「今日の単語(キョウタン)」月曜日8:30更新中!

哲学

エウダイモニア主義

エウダイモニア主義 エウダイモニア主義とは、徳と幸福に関する考え方の一つである。 エウダイモニアとは古代ギリシア語で、一般に幸福と訳されるが、よく生きることと同じ意味をもつ。それゆえエウダイモニアは特定の場面での感覚や気分ではなく(短期的幸…

新アリストテレス主義的な徳倫理学に関するいくつかのメモ

新アリストテレス主義 幸福・エウダイモニア 正しい行為 割り切れなさ 行為の指針と評価 新アリストテレス主義 徳倫理学には徳をどのように考えるかでいくつかの種類があり、新アリストテレス主義はそのうちのひとつである。それが「新」であるのはアリスト…

(二回目)にんじんと読む「徳は知なり(ジュリア・アナス)」🥕 第六章まで

徳、性格、傾向性 《徳とはある種の傾向性であり、ある一定のしかたで推論し、感じ、行為する傾向性である》(p329)。徳とはその人自身に備わる特性であり、(1)一貫して存続するpersisting(2)当てにできるreliable(3)性格を表すcharacteristic。 …

にんじんと読む「徳は知なり(ジュリア・アナス)」🥕 第六章まで

第一章 序論 本書の目的は【徳について説明すること】である。その必要はあるのだろうか。 徳とはなにかについての共通理解を取りだすことで、徳を中心におく倫理学理論のあいだで起こる論争がはっきりわかるようになり、見渡しがよくなる。 徳を発揮するた…

(三度目!)にんじんと読む「依存的な理性的動物」🥕

第一章 傷つきやすさ、依存、動物性 第二章 動物という類に対比されるものとしてのヒト、その類に含まれるものとしてのヒト 第三章 イルカの知能 第四章 言語をもたない動物は信念をもちうるか 第五章 ヒトではない動物の世界はどのくらい貧しいのか 第六章 …

(二回目!)にんじんと読む「依存的な理性的動物(アラスデア・マッキンタイア)」🥕

第一章 傷つきやすさ、依存、動物性 〈傷つきやすさ〉とは、ヒトがその人生のさまざまな場面でさまざまな能力の阻害に苦しめられがちなことをいう。傷つきやすい我々は他者たちの力を借りなければ生きていくことができない。この二つの事実は明白なことで、…

メモ:ファッションのこと

ファッションとはなにか 「衣服を着るとはどのような意味をもった実践なのか?」という問いから始めるのがわかりやすいと思う。実践はいつもわれわれのなんらかの了解を表現している。たとえば寒い日は長袖にするだろうし、コートも着るだろう。かといって、…

にんじんと読む「依存的な理性的動物(アラスデア・マッキンタイア)」🥕 一度目の読み

伝統的な哲学が前提してきた、ヒトとそれ以外の動物を区別する根拠とは何か?両者の間に引かれた境界線を、イルカなど他の知的動物たちとの比較を通じて批判するとともに、人間を孤立し自足した強い個人ではなく、傷つきやすく障碍を抱えうる動物、共同体のな…

にんじんと読む「目的論(宮本和吉:岩波講座哲学昭和7年)」🥕

序論 目的論は、ものやその生成を目的概念を立ててみる見方である。逆に目的概念を立てずに機械的な因果関係によって説明するのを機械論と呼ぶ。生成とはものがその状態を変じて他の状態となることをいう。哲学史において〈存在〉と〈生成〉の前者を否定しす…

にんじんと考える「真理とはなにか」🥕

真であるとはなんだろうか。なにが真理の規準なのだろうか。 1+1=2は真だが、7は偶数であるが真ではない。この二つの言明はいったい何が違うのだろうか。前者がもっていて、後者がもっていないものとはなんなのだろう。 真理とはなにか 真理の担い手 …

哲学者・岩崎武雄さんのコト。

データを集める 岩崎武雄さんの文章 岩崎武雄著作集 レビュー「西洋哲学史」 おまけ 正しく考えるために (講談社現代新書) 作者: 岩崎武雄 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 1972/07/28 メディア: 新書 購入: 17人 クリック: 112回 この商品を含むブログ (8…

にんじんと読む「道徳の哲学者たち」🥕 第一章~第三章

そこで私は古代ギリシア人から始める。なぜそのように遠いところに出発点を求めるのか。答えは簡単で、プラトンとアリストテレスの仕事はまだ乗り越えられていないからである。 道徳の哲学者たち―倫理学入門 プラトンとアリストテレス以前 ノモスーピュシス …

エピクロスの倫理思想

今までのいくつかの記事をまとめました。 エピクロスの倫理思想 倫理思想に対する反論あるいは疑問 アタラクシアと幸福 動的快楽と静的快楽 エピクロスの勉強 エピクロスの思想 エピクロスの思想 規準論 先取観念 解釈学的な「了解」との差異 精神の表象作成…

アリストテレスの生涯について

哲学者・アリストテレス アリストテレスは紀元前384年にトラキア地方のスタゲイラスで生まれた。 歴史について調べると必ずといっていいほど知らない地名が出てくる。日本でないからなおさらである。トラキア地方というのは、現在でいうバルカン半島の南東部…

【哲学】「もの」を「見る」「私」について

物自体ー表象ー意識作用 私たちはものを見る。どのようにしてか。 直観的には次のように考えられている。 モノがある。それがフニャフニャと何らかの刺激を送って来る。心に思い浮かぶ。あっ、見えた。つまり「もの」ー「見る」-「私」である。刺激が来ただ…

問いの構造「もの」と「こと」

何事かを問うということがどんな形式的構造をとるのか? ハイデガーによれば、問いとは探求である。探求は探求せられるものによって方向を決められる→すべての問いは「問われているもの」を持っている。たとえば【美】について問うとき、この問いは【美しい…

にんじんと読む「存在と共同(轟孝夫)第一章」🥕 第二節まで

要約というか、にんじんが理解する限り、という内容です。 にんじんと読むシリーズでは一貫して、そうです。 第一章 「存在の問い」の導入 現象学から「存在の問い」へ 現象学においては、意識は器のようなものではない。そこに何かが盛り付けられているので…

ハイデガーの哲学:Zeug(道具)について

ハイデガーがZeug(もの)という言葉を使ったのは、伝統的な哲学の語彙を使いたくなかったからである。現在ではこのZeugは「道具」「用具」「器具」と訳されることが多いが、ドイツ語では日常的なことばで「もの」のことを指す。Spielzeugは遊ぶものであり、…

にんじんと読む「哲学的思考(西研)」🥕

第五章まで。 序章 現代思想の〈真理〉批判をめぐって 第一章 ”学問の基礎づけ”とは何か 〈普遍学〉の構想 ”学問の理念”と基礎づけ 二つの方法 ”学問の基礎づけ”とは何を意味するか 第二章 〈生〉にとって学問とは何か 人間の全生存に意味はあるか 自然科学…

にんじんと読む「和辻哲郎の解釈学的倫理学(飯嶋裕治)」 第一章

第一章 解釈学的方法と「日本語で哲学する」こと 第一節 倫理学の方法としての解釈学的方法 なぜ和辻倫理学に解釈学的方法が要請されるのか。それはそもそも彼の基本的な姿勢として、考察の仕方の問題が考察対象のあり方と密接な関係にあると考えられている…

にんじんと読む「現象学入門(コイファー&チェメロ)」🥕 第一章&第二章

第一章 カントとヴント ※ヴントについては省略する。 現象学はカント哲学に対するひとつの応答である。 現象学がカント哲学から受け継いだ考え方の最も重要なものは、『認識論的主観主義』(岩崎武雄『カント』)である。それは認識が対象に従うのではなく、…

にんじんと読む「和辻哲郎の解釈学的倫理学(飯嶋裕治)」 序論

序論 和辻哲郎の倫理学理論の全体像の解明のために 和辻哲郎の『倫理学』は「間柄の倫理学」として知られている。人間は単に孤立した個人として存在しているのではなく、人と人との間の相互関係のなかで存在している。人間を個人性と社会性という二重性格を…

にんじんと読む「カント(岩崎武雄)」🥕

序論 カント哲学の背景と意図 『純粋理性批判』の課題と根本思想 感性と悟性の先天的形式 先験的感性論 先験的分析論 ここまでのまとめ 序論 カント哲学の背景と意図 西洋哲学の大きな流れを「古代」「中世」「近世」「現代」に大きく分けてみよう。中世哲学…

「正しさ」と自由

正しさの検討 「いまわたしの目に映っているものは、本当にそれ自体を捉えたもの」なのでしょうか。哲学者たちはこの問題に取り組んできました。デカルトはこの問題に〈神〉を持ち出し、カントは「そんな問いは人間の認識の限界を超えているんだよ」とある意…

「応じ方」としての人間関係の不自由~人間関係についてTHINKする

必要悪なのか? 人間関係について、わたしたちの困惑は相手の「応じる」その仕方にあることは一応納得されることだろうと思います。以前の記事では、「思うままになる」人間関係について考えました。これは言葉通りの意味で応じ方が思う通りになるということ…

人間関係をTHINKする

対人的理想主義者 人間関係とは人と人との間の関係を指します。そのうちには自分がいて、様々な社会集団にいる個別的な人、人々に対してどのような態度をとればよいか悩むとき、わたしたちは人間関係の悩みに直面しているように思えます。 人間関係が人対物…

原理の中の原理~原的な直観(現象学)

原的な直観。疑えるものを疑っていった結果、残る「確信」のこと。 ことばとしては「嘘かもしれない」と言えるけれど、その実、嘘とは思っていないような。人が車の存在を疑っても、その人は車がないと本気では思っていないため、道路に飛び出したりはしませ…

近代哲学の根本問題~デカルト・カント・ヘーゲル・ニーチェ・フッサールまで

近代哲学の根本問題 近代哲学の根本問題。それは「主観と客観の一致」です。 デカルト曰く、疑い得るものをすべて疑った結果、残るものは「我」のみです。彼はそれを「魂」のような実体のあるものと考えました。①目の前にあるパソコンは実在しているのか、②…

Life, Vitalityの違いは?

英単語で「Life」(生命)、「Vitality」(生命力)というものがあります。これらはどのように違うのでしょうか? 『印欧語根を用いた英単語学習辞書』によれば、ふたつの語源は異なっています。 Lifeは、””leip-”(居座ること、くっつくこと;脂肪) Vitali…

現象学の2つの問題について

果たして、目の前にあるあの「ドア」は実在するのでしょうか? デカルトはすべてのものを疑い尽くし、とうとう我へと到着したように、彼はやはりあのドアの存在も認めないことでしょう。疑い得る、なぜならまぼろしかもしれないから。ここに「果たしてそうで…