にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

にんじんと読む「天才⁉科学者シリーズ ヒポクラテス」

 誰かの伝記を読もうと思って選んだのは、ヒポクラテス

 

 彼は地中海の島々のひとつ、コス島のケファロスという町で生まれた。紀元前460年のことである。代々医師の家庭だった。親父からは「俺たちはアスクレピオスとかヘラクレスの子孫なんだぞ」と言われていたが、両方神様である。アスクレピオスは医学の神様で、ときどき、神殿へ巡礼に行った。巡礼者たちは体を悪くしているところを模したつくりものを奉納していくので、棚には陶器でつくられた肺やら心臓、肝臓、眼球などが並んでいる。ベッドがいくつかあって、病人のなかにはそこで夜を過ごす人もいた。親父はヘビをまきつけた杖をもって(神様のまねをして)病人のところへ行き、いろいろ見てやったのである。

 人間が病気になるのは神の仕業だという。風邪をひくのは風の神アイオロスの仕業だし、アポロン神がおこるとペストや天然痘をまき散らす。それをしずめるためにお供え物をするわけだ。そしてそれと同時に、薬草などを処方する。母とはよく薬草をつみにいって色々教わった。父親と旅をする中でいろいろな治療法も学んだ。脱臼とか消毒とか、骨折したときの添え木とか……。古代ギリシャの平均寿命はとても短くて、男性でも30歳手前、女性では23,24歳ぐらいだった。

 父親にいろいろ教わってはいたけれど、ヒポクラテスには不満があった。自分たちの体が何でできているのかと尋ねると父親はキレだすのだ。いや捧げものをすればいいんだという。昔、タレスという人が万物は水であると言っていたらしいし、他にもいろいろな説があったが、ともかく、神々とはあまり関係ない気がした。ヒポクラテスは「四元素説」が確立されたころに子ども時代を過ごしたのである。

 あんまり神を信じないので父親にエジプトに行かされた。エジプトでもやっぱり神を問題にしていた。とはいえ、たしかにエジプトでは様々な知識があっていろいろ勉強になった。コス島に帰ってきたとき、ヒポクラテスは「腰痛を治療するのに神にすがる必要はない」と確信していた。

 

 ヒポクラテスはコス島の医師となった。みんなにお礼をされ、弟子もできた。大きなプラタナスの木の下で、医学や自然科学を教えてやったものだった。だがいけにえを捧げようとしない彼に、父上をはじめ一族のものがとうとうキレだした。ある時、図書館が放火にあい先祖たちの資料がすべて燃えてしまったが、それもヒポクラテスのせいだといわれた。先祖を軽んじているとみんなに言われていたからだ。これで彼はコス島を出て行くことになる。

 ほうぼうをさすらう日々となった彼だが、そのおかげで、環境に応じて人々の病気や性質が変わることに気が付いた。それをまとめたものが『水、空気、場所について』だった。やがて彼は「ペスト」という病気に出会うが、道路や水がきれいな地域ではペストの威力が衰えることに気付き、清潔を呼びかけることとなる。ヒポクラテスは賢人と呼ばれ、人々から敬われた。

 そして83歳のとき、この世を去った。

 彼は健康のためにバランスのよい食事と生活の環境を整えることが大事だと説いた最初の人間となった。弟子たちは彼の教えを伝え、弟子たちは『ヒポクラテスの誓い』という医師の誓いをたてた。

www.amazon.co.jp