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不安という感情について

 感情というものと価値とのつながりについては他記事参照のこと。

 

 

進化論的に見た情動

自然選択は私たちを助けない

 私たちは心が脆すぎる。自閉症だ、依存症だ、統合失調症だ、社会不安障害だ、なんたらと、とにかく問題が起きる。この設計責任は「自然選択」つまり「進化」に求められるだろう。

 心だけでなく、体も含めて私たちの体が脆弱である理由を挙げてみよう。:

  1.  ミスマッチ:現代的な環境に対応する準備ができていない。
  2.  感染症:細菌やウイルスの進化のほうが早い。
  3.  制約:自然選択には限界がある。
  4.  トレードオフ:体のあらゆる機能には利点と同時に難点がある。
  5.  繁殖:自然選択は個人よりも繁殖を優先する。
  6.  防御反応:痛みや不安は脅威に対しては有用。

 現代は衛生環境や医療技術が整っているぶん原始時代よりずっとマシである反面、豊かになった代わりに当時では考えられない<文明病>を抱えることになった。喫煙・アルコール・ドラッグ等々による病気、糖尿病、高血圧、冠動脈疾患、肥満。精神疾患も例に漏れず、物質依存症や摂食障害注意欠陥多動性障害は近代社会でしか見られない。

 自然選択は奇跡的な変化をもたらすものである一方、限界がある。

 自然選択が配慮するのは個人の幸福ではなく繁殖の効率であるという点が最も基本的な点だ。それ以外にも「時間がかかる」ことと、「猪突猛進」であることが挙げられる。前者はわかりやすいだろう。だが後者については説明を要する。すなわち、自然選択は既製品の欠陥を直すことができないのである。たとえば脊椎動物の目には「盲点」という無意味な欠陥が存在する。もしこれを治そうとしたら、何千世代ものあいだ、脊椎動物は目が見えなくなる。

 これら3つの自然選択の欠陥は人間の「脆さ」について説明する。

 自然選択は欠点をそのままにし、臨機応変ではなく、私たち個人のことは何も考えない。最後の点が、私たちを最も苦しめているポイントである。私たちの不安や痛みは、生存すること、繁殖することにとって、非常に有用なのである。私たちが熱を出し苦しい思いをしたり、もやもやと嫌な気持ちになったりするのは、「防御反応」である。

 苦しみは役に立つから、自然選択は私たちを助けない。

情動:状況に対するモード

 病気になるとしかじかの症状が出るが、症状自体は問題ではない。かぜを引いて咳が出ても、咳が悪いわけではない。それは正常な、役立つ反応である。それが過剰になったり、十分に現れないのが異常な反応である。『ある反応が正常なものか、または異常なものなのかは、それが現れたときの状況がどのようなものかによって決まるのだ』。こうした反応のなかには変化する状況に身体を適応させるために起こるもの、たとえば呼吸や心拍数、体温の調整などがそれだが、そうしたメカニズムがある。これと同様に、「情動」もまた、人間にとって有用なものである。

  1.  たとえば、不安や悲しみといった症状は、予想不可能なタイミングでごく一部の人にだけ現れる、特異な変化ではない。むしろ、汗や咳と同じように、ある特定の状況下ではほぼすべての人に一貫して現れる反応。
  2.  情動が表出する背景には、特定の状況において特定の情動が湧き上がるように調節するメカニズムが存在する。そしてそのような制御システムが進化するのは、それが適応度に影響するような形質に関するものである場合だけ。
  3.  反応の欠如は、有害な結果につながる。
  4.  症状の中には、個体にとっては重大なコストを生じさせるものであっても、その個体の遺伝子にとっては有益なものがある。

 進化的な視点で、情動はシンプルに定義できる。

情動とは、ある種の生物の進化的歴史において繰り返し現れる状況が呈する適応上の課題への対応力を強化するように、生理、認知、主観的体験、顔の表情、行動を調整するように特化された状態を指す

なぜ心はこんなに脆いのか:不安や抑うつの進化心理学

 つまり情動とは状況ごとのモードチェンジである。情動と感情は、それが意識されるかどうかの違いである。嫉妬していると感じなくても、身体は嫉妬用に心拍数を上げたりする。

 情動は人によって数え方が違うからいくらでも種類を増やせるが、進化的に見れば、ツリーとして概略が示せる。まず、すべての情動はポジティブとネガティブに分けられる。すなわち、「機会をもたらす状況」に処するものと「脅威となる状況」に処するものとに分かれる。これに基づいていろいろと状況ごとに分類していくことができるのだが、しかし、現実の状況はこれより極めて複雑である。また情動のラベリングは文化によって異なる。

 私たちは情動に強度があることを知っている。

 同じ状況に対しても人は同じだけ泣きわめくわけではない。どうやらこの程度の違いは、適応度にはあまり影響しないらしい。自然選択において生まれたこの「適切な反応」の程度の幅も、私たちを苦しめる一つである。私たちは自らの情動をコントロールしようとして瞑想だとかクスリだとかいろいろするが、最も一般的かつ効果的な戦略は「ただ待つこと」だ。主観的な幸福度はその出来事の前のレベルに戻ることが多い。喜びもいつまでも続かないが、悲しみもいつまでも続かないし続けられない。

不安の役割

 なぜ不安は存在するのか。

不安を感じる能力がある個体のほうが、危険な状況から逃げ、将来的には同じような状況を回避できる可能性が高いから

なぜ心はこんなに脆いのか:不安や抑うつの進化心理学

 実際、不安がなさすぎる人はいる。ハイポフォビアと呼ばれる人々である。彼らはまったく不安にならない。治療などしようとは思わないため、命を落としやすい。

 一方、不安が強すぎる人もいる。パニック発作はその例である。ちょっとでも部屋がモワッとしていたら部屋を水浸しにし、全焼するリスクを回避する。彼らは重篤なリスクを徹底的に回避しようとする———明らかにパニック発作は「誤報」である。しかし同時に、不安に対する人体の正常な反応ではある。この不必要だが正常な反応という認識は、パニック障害を持っている人が自らを理解するうえで役立つ。彼らは火事の兆候をさがしてしまい、普通には関係のなさそうなことでも部屋を水浸しにしてしまう。それが「外に出たらパニックになってしまう」といった恐怖に繋がっていく。

補論:パニック障害過呼吸🥕

パニック発作

 以下の症状のうち4つ以上が突然に現れ、10分以内に頂点に達する。

  1.  動悸、心悸亢進、または心拍数の増加
  2.  発汗
  3.  身震いまたは震え
  4.  息切れ感または息苦しさ
  5.  窒息感
  6.  胸痛または胸部の不快感
  7.  嘔気または腹部の不快感
  8.  めまい感、ふらつく感じ、頭が軽くなる感じ、または気が遠くなる感じ
  9.  現実感消失または離人症
  10.  コントロールを失うことに対する、または気が狂うことに対する恐怖
  11.  死ぬことに対する恐怖
  12.  異常感覚(感覚麻痺またはうずき感)
  13.  冷感または熱感

パニック障害

 予期しないパニック発作が繰り返し起こり、少なくとも1回の発作の後一か月間以上、以下のうちの一つ以上が続いていたこと。

  1.  もっと発作が起こるのではないかという心配の継続
  2.  発作またはその結果がもつ意味についての心配
  3.  発作と関連した行動の大きな変化

 パニック発作の中核となる呼吸器症状は「過呼吸症候群」と同じといってよい。パニック障害になりやすいパーソナリティを示す統計学的データはない。また、パニック障害は発作に対する不安から広場恐怖に繋がりやすい。

<呼吸のプロセス>

 息を吸うと酸素は肺の中に入る。酸素は肺を通って来た血液に溶け込み、ヘモグロビンと結合する。体の隅々まで運ばれ、各部において運んできた酸素を放出する。細胞は酸素を消費し、廃棄物として二酸化炭素を放出する。二酸化炭素は血液に乗って肺に運ばれ、息を吐いて放出される。

 ヘモグロビンの酸素放出は二酸化炭素との出会いによって起きる。つまり二酸化炭素がないと酸素を送れない。過呼吸は息を吸い過ぎるとともに吐きすぎるもので、いくら酸素を持っていても二酸化炭素が少ないのでヘモグロビンが酸素を切り離せず、細胞に酸素を送り込めなくなる。送り込めないので酸素を必要として息を吸おうとする(過呼吸)。この影響を受けるのが脳の血管で、ふらつく感じが起こったり、めまいがしたりする。とはいえ、バランスを崩しているだけなので酸素自体は細胞に供給できており、過呼吸で絶対に死ぬことはない

 発作のコントールのために、呼吸をコントロールする。1分間の呼吸数はふつう10~12回(吸って吐く=1回)であり、パニック障害に悩む人は普段から呼吸数がこれより多い→①息が早すぎる。また、呼吸が深すぎて酸素が入りすぎる→②口呼吸またはたくさん吸おうとして体に力が入って腹で吸えていない。発作が起こりそうなときや、あるいは普段から訓練として、次のような動作を行うとよい。

  1.  活動を中断し、3秒吸い息を止め、10秒数える。←発作が起きているときは苦しいだろうが、酸素自体は足りているので死ぬことはない。
  2.  10秒後、息を吐く。目を閉じて「リラックス」と自分に言い聞かせる。
  3.  3秒数えて息を吸い、3秒かけて吐く。これを10回繰り返し(合計1分、呼吸数10回)、吐くたびに「リラックス」していると感じる。
  4.  1に戻る。