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にんじんと読む「僕らはそれに抵抗できない(アダム・オルター)」🥕

 われわれは依存症というものを自分とは関係のない、特殊な人間だけが抱える症状だと思っている。しかしたとえばスマホを手に取る回数や使う時間は年々増えているし、しかも当人はそれらを半分以下に見積もっている。一日のうちどれぐらいスマホを操作するかを聞いて一時間と答える人は、実際の使用がおおよそ3時間という結果が出るほどに乖離しているのである。

 依存症と聞いてすぐに思いつくのは薬物のような「物質」的なものだが、昨今は「行動」にも注目が集まっている。もちろん、まばたきや呼吸は依存行動ではない。行動依存などと言いだすと「人は依存なしには生きられない」とさえ言いたくなるほど生活は依存に満ちているように思われる。だからそれを制限する必要があり、大抵のばあい、長期的な害があるのにやめられないこと、とされる。こう制限しても、もちろんわれわれは軽度な依存症者なのだが、スマホをはじめ、ネットゲーム、ショッピング、ギャンブル、フェイスブック等々、深刻に生活への害をもたらすものも多い。そして危険なことは、こうしたことはそれぞれが普通のことであるので、当人がそれほどの困難に陥っていると周りが気づけないことである。

 ドラッグには依存性があるが、ドーパミン放出が依存の引き金になっているわけでは実はない。人を依存症にするものは、その行動を「苦痛をやわらげる手段」と認識したときである。これをもって、「依存症とは人物と体験の関係性のことだ」と説明するのは非常にわかりやすい。われわれの行動は固定化し、その行動を欲しがるようになる。この「欲しい」ということは対象の魅力とは一切関係がない。途中でそれになんの魅力も感じなくなっても、欲しいとは思う。だから害があってもやめられない、という位置まで来てしまっているのだ。

 

 

 行動嗜癖には6つの要素がある。

  1.  ちょっと手を伸ばせば届きそうな目標
  2.  抵抗しづらく、また予測できないランダムな頻度で、報われる感覚
  3.  段階的に進歩・向上していく感覚があること
  4.  徐々に難易度を増していくタスクがあること
  5.  解消したいが解消されていない緊張感があること―――人は完了した体験よりも完了していない体験のほうに魅力を覚える。
  6.  強い社会的な結びつきがあること

 

僕らはそれに抵抗できない

僕らはそれに抵抗できない