現象学が方法的に基礎をおいているのは「明証性の原理」である。それは、明証性から汲み取ったのではない判断(その判断に対応する事象や事態をそれ自身としてわたしに現前させる経験から汲み取ったのではない判断)を決して行ってはならないし、まったくそのような判断を有効なものとしてはならない、ということである。現象学のモットーである〈事象そのものへ!〉・無前提性の原理という要請にこたえるためには、どのような立場にもとらわれることなく、自分の眼でよく見ることを身につけなければならない。
これには3つの含意があるように思える。
- まず現象学とはひとつの学問であり、私たちの暮らす世界のさまざまな体験を叙述する使命を持つ。そうした叙述は、叙述する当人はもとより、そのテクストを読む人々に対しての了解を狙っている。それらのテクストはつねに私以外の誰かに対して書かれたものである。だから明証性の原理は普遍性の要求でもある。「事象そのもの」はそのように開かれたものであることを、この原理によって補強しているのだ。
- ほとんどの事物はあまりにも多くの先入見・前提に覆われている。それを「よく見る」ことができるようにするためには、それを可能にする方法を要求する。そしてこの方法こそが、フッサール現象学において有名な現象学的還元である。
- 明証性とは作用の仕方のひとつである。それは感情のことではないし、真理の基準でもない。すべての対象はどれほどかの程度においていつも明証的に与えられており、それがあったからといって最終決定的に””真理””であるわけではない。明証的に与えられたとしても間違いであることはふつうに起こり得るし、幻滅の可能性は原理的に排除できない。われわれが求める理想的な明証性は、ありとあらゆる観点からの理想的な所与である。たとえばそこにいる鳥は羽ばたき、空を飛び、鳴くが、そのすべてを確認してもまだ精巧なロボットである可能性は残っており、理想的とはいえない。一切の未解決成分を残さないケースこそ理想的な明証性であり、これを十全的明証という。このような十全的明証がありえないという事実は、私たちの探究を続けさせる。科学と同様に、対象に関するすべての叙述を「仮説」の地位に置く。独断論を排する。明証性の原理には『探求の継続』という役割がある。
これが明証性の原理の内容である。
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