にんじんブログ

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気持ちが落ち着かないとき

 気持ちが落ち着かないときは整理整頓に限る。

 

 まず簡単には、物理的に部屋の掃除でもするのがよい。いるものと、いらないものを分ける。いらないものは捨てる。いるものと、いるかいらないかわからないものはどこかにしまっておく。どこにどうしまっておくかも考えないといけない。

 本棚があると便利だが、本棚はじゃまだ。基本的に床についている家具だったり、すっと持ち上げられない家具はじゃまだ。机もじゃまだが、ないと不便なのでしぶしぶ置いている。にんじんのこういうところは、いわゆるミニマリズムとか、「断捨離」好きなひとと似ている。とはいえ、たくさんのものがないと落ち着かないひともいるので、これは単にこのみの問題であると思う。本はたくさんあるほど嬉しいし、書庫はほしいとすら思うが、この部屋はにんじんの部屋であって本の部屋ではないので、本ばかりあっても困る。

 皿洗いもする。皿は使ってもなくならないのでうれしい。しかし、使ってもなくならないので手間である。なら紙皿とかプラスチックにすれば良さそうなもので、そのほうが「合理的だ」とかいうひともいそうだが、食器がないとなんとなくさみしい。現代において指摘されることは、食の作法というものが消えたことだ。テーブルマナーとかおかたいものもそうだが、食い合わせだとか、皿に盛りつけるだとか、そういったふつうのことも、ふつうではなくなっている。ある人は、飯と一緒にコーラを飲んで平気である。晩飯に昼飯みたいなものを食って澄ましている。それでにんじんたちはふつうにやっているが、たまにそういうのはどうだろうと思うこともある。最近みなみけの第一期第一話を見たら、夕飯を頼まれた夏奈に「ホットケーキにしよう!」と提案されて、千秋が「それ、いい。いいよ、でかしたよ夏奈」と褒めるシーンがある。ふつうホットケーキを夕飯にはしない。そこがおもしろい(と思う)のだが、ここには「夕飯を作る」とか「ご飯を頼まれる」とかいろいろなありふれた前提がある。そしてもちろん、夕飯にふつう食うものも。昔、ドキュメンタリーで、立川談志が時代を嘆いたのを見た。いつものように落語をやったのだが、登場人物が悲しそうにしているところで客が笑う。ここは悲しい場面だ、笑うところじゃない。そういう機微がわからないのか。だんだん感覚が違ってきてる、といったような内容だったと思う。「それいつ食べるの?」「それいつ飲むの?」なんて、今の時代に誰が尋ねるだろう。コーラなんて、三時か、友達を迎えるとき以外ありえなかった。今は適当な時間にコンビニに行って、いつの時間にもラッパ飲みである。生活習慣ほど変わりやすいものはない。一個人で見てもそうなのだから、時代ならなおさらだ。