労働ほどめんどうなものはこの世にない。
どこの文化圏のひとが労働から充実感を得るのかわからないが、彼らと唯一共有できるのは口座に金が入っていたときの喜びだけだろう。働くことに深刻な疑問を感じ、それを素直に口にするひとはSNSもあるから、冗談交じりにも、よく目にするようになった。人を金づるとしか見ていないような人物たちがインターネット上で声高らかに信者たちに説教しているのもたまに見かける。ああいう人たちに引っ掛かっておかしなことを口にしたり、突飛な行動をとるのは若気の至りという感じがあるが、目に触れやすくなったおかげで若気の至りで済ませられなくなっている部分もある。借金なんかもしやすくなった。金を貸せば儲かるから、みんな貸したがる。ただし、信用がないものには高金利で! 切実にお金持ちになりたいひとはお金がないひとなので、「行動せよ!」という老師(おっさん)の説教を思い出し、突飛な借金を背負い、謎のビジネスを始める。老師は人目を気にしないからこそ老師になっているので、「人目を気にするな」とよく言うが、まぁ、普通にある程度は気にしたほうがよい。悪名ポイントを稼いでいいのはウォッチドッグスだけだ。彼らは声がでかいので、うまくいっているように見えるが、冷静にみると、特に憧れるポイントはないことに気づく。
お金を稼ぐ方法のひとつは支出を減らすことだが、この作戦は収入がゼロでは話にならないという意味で、収入依存的な戦略だ。だから根本的には、収入をどうするのかを考えなければならない。ありがたいことに、日本は最初から金の入り方を十種類に分類してくれている。
- 利子所得
- 配当所得
- 不動産所得
- 事業所得
- 給与所得
- 退職所得
- 山林所得
- 譲渡所得
- 一時所得
- 雑所得
仕事をして金を得るのは「給与所得」だ。働きたくないなら、その分を、別の所得から得る必要が出てくる。あるいは、支出を減らしてもっと少ない額で生きる道を選ぶかだ。youtubeで再生回数10回以下ぐらいの動画で、キッチキチの最低限度の生活をしていたひとがいた。最低限度生きられるが、とても文化的ではなかった。このあたりはバランスだが、そこまで最低限だともはや本当の意味で「働くだけの一生」になってしまう。だが一方で、その金額が少なければ少ないほど、得るべき収入は少なくなる。
年間でどれだけ支出したのかを知るのがまず大事なことだ。これは本当に自分で調べるしかない。あなた一人がいろんな所得から縁を切って生きるのには、この年間支出に、結婚だとかなんだとか、まぁ一度だけだろうという支出額を足し、なにかのためにちょっと付け足したものがベースの額となる。それがいちおうのゴールということになる。
……最近このあたりのことをよく考えている。