第一章 「頑張り」=努力主義と平等の日本的文脈
まずは「平等」ということの日本的な位置づけについて確認する。
中根千枝『タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)』は、《社会構造の分析に関する新しい理論を提出》するものである。
社会構造というものは、個人と個人、個人と集団、個人からなる集団と集団の関係である。社会集団が構成されるのは「資格=社会的個人の一定の属性(氏・素性・学歴・地位・職業・血縁集団、カースト集団)」と「場=一定の地域や所属機関など、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成していること(R大学の者等々)」という二つの異なる原理によるものであり、各個人は資格と場によってさまざまな社会集団に属する。
このようにして見たときに興味深いのは、資格と場のどちらか一方を優先は社会によって異なることである。それが日本社会(場重視)であり、他方ではインドのカースト制(資格重視)である。場によって個人が所属すると、現実的には個人は一つの集団にしか所属できない(場を出ると集団を出る)。また、資格によって個人が所属すると、いろいろな集団に同時に身をおくことができる。
ここで導入されるのが「タテ」と「ヨコ」である。資格の異なるものを包む社会集団において、その構成員を結び付けるのは理論的には当然「タテ」関係=同列におかれないA・Bを結ぶ関係になる。タテ関係は親子・子分関係・官僚組織によって象徴される。一方、資格が同列の場合は「ヨコ」関係になる。ヨコ関係はカーストや階級的なものへと発展する。ヨコ社会は「能力差」の闘いになるが、タテ社会は「順番」がある。
日本の序列偏重は能力平等観と相関しており、つまり「誰でもやればできる」ので、能力差は序列による差ということになる。日本人はそれにどれだけ打ち込んで来たかという努力には注目する。
この根強い平等主義は、個々人に(能力のある者にも、ない者にも)自信をもたせ、努力を惜しまず続けさせるところに大きな長所があるといえよう。(中略)金持ちの息子は苦労がないからおめでたく、バカで、刻苦勉励型が出世するという社会的イメージが、日本人の常識の底流となっている。
第二章 中根千枝「タテ社会」論からみた「頑張り」
中根のタテ社会論は多くの誤解にさらされてきた。それはタテ=上下の関係、ヨコ=平等な関係といったような誤解である。その中でも最も建設的な批判は竹内洋による「同期」の問題である。
彼は日本社会をタテ社会とすることは、個々の事情を無視して強引に基準をあてはめる””プロクルステスの寝床””の危険性をもっていることを指摘し、タテ社会のなかにあるヨコの関係を見えづらくする「同期」という具体例を挙げた。同期とはふつう私たちが日常使っているような意味で、つまり、入社年次や入学・卒業年次を同じくする者のことである。これは先輩や後輩といったタテ関係とセットになったものであり、同期意識が強いと当然長老主義的秩序も強まり、また、そうした長老主義的秩序が強いとやはり同期意識も強くなるはずである。すなわち、タテとヨコはお互いに強め合っているのだ。
これに対して中根は反批判を行っている。一言でいえば、中根のいう「タテ」「ヨコ」と竹内のいうそれらの範囲が異なっているのである。竹内のいう「ヨコ」の関係というのはすべて、「場」によって限定された集団内部の「ヨコ」であって、中根のいう組織構造としてのヨコの機能を持ちえないものなのだ。
第三章 「頑張り」=努力主義と日本社会
日本には「誰でもやればできる」という能力平等観が根強く存在しており、それゆえにこそ忍耐・努力が重視される。これに対してアメリカ・イギリスでは能力素質説とでもいうべき、不平等観が強い。
また頑張ることについてのもう一つの文化的要因は「同調主義」にも求められる。なにしろ、1924年生まれの多田道太郎の証言によれば、頑張るという言葉はむかしはあまり使われることはなく、仮に使われたとしてもそれは「頑張る」=「我を張る」=「我意に固執して譲らない」といったような悪い意味だった。この頑張るという言葉が好意的に受けいれられだしたのは昭和になってからである。戦後日本のアメリカ化・個人主義化に、従来の同調主義がその下支えをしたと多田道太郎は見る。いわば同調的個人主義、おたがいに頑張っているわれわれ、頑張りの共同体といったものとなった。
「能力平等観」「同調的個人主義」という文化的背景要因は、要因ではあるものの、直接人々に頑張ることを働きかけるものだと一概にはいえない。そこで今度は具体的な制度に目を向けて、頑張らせる仕組みを探っていこう。それは「傾斜的選抜システム」である―――竹内洋によれば、現代社会は社会的成功が「選ばれる」ことによって得られる「選抜社会」である。かつまた、日本の選抜の特徴は「傾斜的」=たとえば偏差値などによって学校が総序列化されている。この偏差値は小数点第一位まで算出され、たとえわずかな偏差値の差であっても傾斜をのぼることができ、頑張る気にさせられる。
「能力平等観」「同調的個人主義」+「傾斜的選抜システム」→ 頑張りが根付く
しかしそのような目で見た場合、大きな目で見ると、今後この努力主義は衰退していくことになるだろう。
第四章 「頑張る」時代の変容
略
第五章 「頑張らない主義」の台頭
頑張らないことへの価値の位置づけが変わり始めている。1998年頃以来、「頑張らない」ことを謳った書籍・雑誌記事・キャンペーンが増加傾向にあるのだ。人生論の分野でもこのテーマで多く出版され、がんばり過ぎからの脱却をすすめだしている。経済界でもケーズデンキは「がんばらない経営」をかかげ、業績を伸ばした。
これらはバブル経済崩壊後、安泰とされてきた大企業が相次いで倒産し、終身雇用制度が崩壊したことにより努力主義が本格的に疑われるようになったことが要因と思われる。