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にんじんと読む「21Lessons(ユヴァル・ノア・ハラリ)」🥕 1「幻滅」

「幻滅」

 「ファシズム」「共産主義」「自由主義」という三つの物語があった。

  1.  ファシズム 異なる国家間の闘争として歴史を説明し、他のあらゆる人間の集団を力づくで征服する一つの集団によって支配される世界を思い描いた。
  2.  共産主義 異なる階級間の闘争として歴史を説明し、たとえ自由を犠牲にしても平等を確保する、中央集権化された社会制度によってあらゆる集団が統一される世界を思い描いた。
  3.  自由主義 自由と圧政との闘争として歴史を説明し、あらゆる人が自由に平和的に協力し、たとえ平等はある程度犠牲にしても中央の統制を最小限にとどめる世界を思い描いた。

 

 第二次世界大戦によってファシズムは打ち負かされ、1980年代後期にかけて共産主義自由主義の線上と化した。やがて共産主義が破綻し、自由主義が残った。彼らは自由の価値と力を賛美する。世の中は万事順調ではないがやるべきことは自由を与えることだ、と信じている。

 しかし、2008年の金融危機以来、自由主義にも幻滅が起こり始めた。移民や貿易協定への抵抗が強まり、さまざまに自由を制限しはじめている。もはや上記三つの物語はどれも期待外れとなった。自由主義者の多くはイギリスのEU離脱とトランプの大統領就任が文明終焉の予兆だとみなしている。破滅の危機を感じさせるのがテクノロジーが引き起こす破壊である。職や電灯、制度、機関などは破壊され、失われ混乱や無秩序を招くような急速な変化が起きている。政治家も有権者もテクノロジーについていけていない。金融制度はおそろしく複雑で、きっと誰も理解できなくなる日が来る。

 しかし自由主義の危機はこれが初めてではない。どちらかといえばグローバル化にかかわる部分の自由が疑問視されており、国内政策については変わらず自由主義のままである。自由主義の崩壊によって空いた穴はノスタルジックな夢想によって埋められており、中東ではムハンマドの制度を真似たがり、2500年も過去にさかのぼろうとしている。自由主義は他の選択肢と比べて多くの実績を持っているが、生態系の破壊や技術的破壊に対してなんの答えも持っていない。われわれは自由主義を取り戻すべきか、それとも新しい物語を作り出すべきなのか?