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にんじんと読む「世界は善に満ちている」 ~希望~

希望

 希望という感情が抱かれる対象は、まず〈善である〉。ここでいう善というのは道徳的善」だけでなく、私たちを喜ばせる「快楽的善」や、私たちにとって役に立つという意味での「有用的善」の三種であり、その対象はそのうちいずれかの善である。言い換えれば、なにかを希望している人にとってその何かは善である。逆にいえば、悪しきもの、無価値なもの、価値を破壊するものに希望を抱くことはない。悪は希望できない

  •  反対に、私たちに恐れを抱かせるものは悪である。ここで「希望」は「恐れ」と決定的に区別される。

 次に、希望という感情が抱かれる対象は、〈未来のものである〉。それはまだ手に入っていないもの、これから手に入れようと思っているものである。既に手に入っているものを希望することはありえない。このことはたとえば「バンドを組む」ことを希望する人がバンドを組むともうそのバンドを組むことは希望できないことを帰結する。だがバンドとはいつ解散するか不安定なものであって「将来にわたって組んでいられること」を次は希望するかもしれない。

  •  反対に、現在の善が対象となるものは「喜び」である。

 次に、希望という感情が抱かれる対象は、〈獲得困難なものである〉。簡単に手に入るものを人は希望しない。体に目だった障害も見られないのに「授業のあとにコンビニに行くことを希望する」人は存在しない。逆にいうと、希望が持たれるということは困難な壁があるということを意味する。……ということはすべてが容易にワンタッチで実現できるような世界は……

  •  「欲望」は獲得困難であろうがなかろうが持たれるものである。それが希望となるためには獲得困難でなければならない。

 次に、希望という感情が抱かれる対象は、〈獲得可能なものである〉。困難すぎて獲得できないと思われるものは希望できない。

  •  逆に、獲得不可能なものに対して抱かれるのが「絶望」である。ただし、絶望は善を対象とする点で希望と一致する。これによって「絶望」と「恐れ」は区別される。

【これまでに登場した感情】希望、恐れ、喜び、欲望、絶望