この本はドイツの著述家であるクニッゲ(1752~1796)が書いた処世哲学の古典的名著で、他にも小説などいろいろな作品があるが、自他ともに認める「粗製乱造」のせいもあってか、現在でも親しまれているのはこの一冊のみである。
第三部まであり、第一部において一般原則と一般的の人に対する交際術を示し、第二部においては身分差のない人に対する交際術、第三部においては身分社会的関係、慣習によって左右される交際術を論じている。つまり基本的に「誰とどう交際するか」について書かれてあり、例外的に交際している時点の状況にも触れられている箇所がある。以上の事情から、<交際><交際対象><交際状況>がこの著作の基本的な枠組みといってよいだろう。
クニッゲによれば、この著作に「くだくだしく、また大げさすぎる」題名をつけるなら、『世間と社交の場において、幸福かつ満足に他の人々と生活し、隣人を幸福かつ愉快にさせるために、人間はどのように振る舞うべきか、ということを定めた規則集』だと書いている。本人も注意しているように、人を自分の思うままに操る術を読者に伝えたかったわけではない。安定した、不安のない、安全な交際。そして仲を深めていくための交際。そうしたことが主眼であるはずだ。そうすると、理屈で言えばここに三つの態度が見いだされる。<自己本位><衝突回避><関係深化>の三つである。別にありがたくなかろうが「ありがとう」といわなければならない場面もあるし、つまらなくても笑わなければならない場面もあろう。衝突を避け、環境を整備し、互いに安定して過ごせる場所を確立するのが<衝突回避>の姿勢である。一方、互いの関係を深めていくためには自己をふつう以上にさらす必要があり、その面でいざこざも増えるだろう。関係を安定させ、自己を開示し、関係を安定させる。以上の意味で、これら三つの態度は<自己本位>に吊り下げられた円錐のように表示されよう(もちろん、関係を深めたくない場合もあるだろうが)。
序論
この「交際術」を用いるべき読者は、「善良な意志と忠実な真心の持ち主であり、なおそれだけでなく、多様で極めて優れた性質を身につけ、世間で成功するため、また他人と自分の幸福を築くため、熱心な努力を傾けて生活し、そしてそれにもかかわらず、他人から誤解を受け、見過ごされ、何一つ成功しない、そういった人」である。より簡潔にいえば、<高い徳性を持ちながら社会的に成功していない人>であろう。
※とはいえ、この時点で自分が想定される読者だと考える人はどれほどいるのだろう。
そして社会的成功を収めていない原因は、「人間交際術」が欠けているからであると断ずる。無学な人間のほうがこうした作法を心得ており社会的に成功してしまうことの皮肉を嘆き、これのない読者は人間研究に取り組まなければならないと主張する。
社会で成功していない人間が、社会でうまくやっていくために社交術を身に着けようというのは自然な話の流れである。対象とする読者もそれほどハードを上げずに「高学歴ワーキングプア」といったようなものを一例として挙げることは可能だと思われる。
第一章 人間交際術についての一般的規則と注意事項
【人間は、世間の中では自分を演じなければならない】
人間交際術を語る本の主題は「自分をどう演じるか」である。言い換えれば、「自分をどう見せるか」である。人間はみな完全ではないが、完全を目指さなければならない。約束・時間を守り、真実を語り、整理整頓し、勤勉であることなど(【十一】【十二】)。高い徳性を持った読者はひたむきにこの努力をし続けているであろうが、これを怠ってはならない。だが「完全無欠であるかのように振る舞ってはいけない」(【二】)。完全無欠人間の欠点を見つけると、人は鬼の首でも取ったような騒ぎで大喜びするから。「貴方がたった一度、失敗をするだけで、人々は貴方の失敗の方を、ほかの人の全失敗の総計よりも手厳しく評価する」から。それに、人はみな愉快な気持ちでいたいと思うもので、厳格すぎる人間は退屈である(【十五】)。
読者はただ自分のひたむきな努力を信じなければならない(【八】【九】)。自分の正しいと思うことをしなければならない。人間交際術は外面を取り繕い、八方美人になる術ではない(【三】)。
【世間で演じるにあたって他人を利用してはいけない】
隣人の欠点を暴いて自分を引き立てたり、嘲笑・中傷・噂話したり(【四】【十七】【十八】)、他人の手柄を自分のもののように吹聴してはならない(【五】)。自分の不幸をことさら外にあらわし誰かをあてにしたり(【六】)、自分の幸福を声高に言いふらすのもいけない(【七】)。たとえ相手が配偶者や恋人であったとしても、自分を救うことができないなら、語るべきではない。なんでもかんでも自己開示すればいいわけではない(【十四】)。家庭内の情報を流すのもよくない(【十九】)。もちろん非難や反論をするときは十分に慎重でなければならない(【二十】)。もし反対された場合でも、それに対する反応は慎重でなければならない(【二十九】)。幸福は妬みを生むので、言いふらしてはならない。人にあまり大きな親切をしてやるのも控えるべきだというのもここに含まれる。また、他人からの親切もできるだけ少ないほうがよい(【十】)。自分ばかりしゃべってはいけないし、自分にしか興味のないことをしゃべってはいけない(【二十一】、【二十二】)。楽しみを求めて人々が集う場所で仕事の話などしてはいけない(【三十】)。宗教の話、他人の欠陥の話は注意深く。他人を笑いの種にしてはいけない(【三十一】【三十二】【三十四】)。
- 他人を驚かせたり、からかったり、気をもませたりしてはならない(【三十五】)。
- 不愉快な事柄を人に思い出させてはならない(【三十六】)。
- 嘲笑の輪に加わるな(【三十七】)
- 貴方が後見人でない限り、他人の行為については本人の責任に任せておくべきである(【三十九】)。
ここで強調されているのは、他者との適度な距離であるように思われる。自分の世話はできるだけ自分でやり、受けた恩はそのバランスを保つために必ず返すものだ。借りたものは返すこと。みだりに与えないこと。みだりにもらわないこと。謙虚であること(【二十三】)。
【基本的な振る舞い方:相手に興味を持つ】
もしも自分に興味を持って欲しいと望むなら、まず自分が相手に興味をもつこと(【十三】)。これが関係を深めるのに重要である。たとえ興味がなくとも、もし興味があるならなおさら、内容のまったくない会話をしてはいけない(【十四】)。私はあなたに興味があります、という態度をとらなければならない。
- 矛盾することを言ってはならない(【二十四】)。
- 同じことを繰り返してしゃべってはならない(【二十五】)。
- いかがわしいことは言わないように(【二十六】)。
- 月並みな決まり文句は言わないように(【二十七】)。
- 無益な質問はしないように(【二十八】)。
ここでの主眼は相手に興味を持つことであり、何事に対しても、その人がどう思っているのかを気にすることである。別に相手の反応などどうでもいいのに適当な言葉を吐くのを戒めているのだと考えよう。
簡単にいえば、「自分の世話は自分でやり、関係を深めたいならまず他人に興味を持つこと」だ。人間交際術でありながら、それほど積極的に社交をすすめているわけではない。「人生を快適に送るためには、人々の中にあって、自分をほとんど常に「よそ者」にしておかなければならない」(【四十六】)。自分の領分に他人を入れることは戒められており、交際とはあくまでそのボーダーラインありきのものなので、人間交際術とは八方美人の術ではないのである。関係を深めたいと考えるのは相手が親切だからではなく、「自分の方から犠牲になってもよい」と思うほどになってからのことなのだ。