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夏目漱石のこと2

 漱石が求めた「個人の自由」は、単なる信念では押し通せない。何が必要かといえば「金」である。が、漱石は「金」が力を持ちすぎる社会にも嫌気がさしていた。漱石の神経を参らせたのは、〈金力の不徳義に対する怒りと、無金力の不如意に対するあせり〉であった。金には力があり、それが故に金持ちは力を持つ。だが世の中の金持ちは無学無知な連中ばかりである。無学不徳義でも金を持てば強いから、国民は金を持とうとばかりする。それで秩序が乱れてしまう。結果として、〈愚なるもの・無教育なるもの・齢するに足らざるもの・不徳義のものをも士大夫の社会に入れたる〉(夏目漱石全集第二十四巻六十四頁)ようなことになる。

 ここで注目すべきだと林田さんが言うのは、『無教育なるもの』という言葉である。教育のあるなしを以って人をはかる基準としてしまっている。だが勘違いしてはいけない。教育があるのはその人が環境に恵まれていたかどうかも大きく関係するのだ。そもそも漱石は自分がまるで貧乏人の代表選手のように語っているが、彼はそんなに金がなかったわけではない。彼には「女中」のいない家庭というものを、考え得なかったことを思い出さなければならぬ。

 この例にみられるように、漱石は基本的に自分の有する「権力」に無自覚である。彼は悪口をいうときにいつも「車夫」を口に出す。車夫には教育がないというわけだ。だから漱石が〈どんなに自我の尊厳を力説しようとも、大学講師と車夫とが肩をならべあう社会にはがまんができない〉。〈個人主義思想の個人的要求としての「自我の自由」をあれほど強調しながら、個人主義思想の社会的要求としての「自由主義」を、『秩序を壊乱』するものとして非難した矛盾〉を彼は抱えているのだ。

 そもそも日本の個人主義は西洋からの輸入ものである。つまり個人個人の内部の圧力によって生まれたのではなく、まず知識として入って来た。その知識をまず摂取したのは前時代の封建的な「金持ち」なのである。漱石も士族の出で、もちろん明治になってその勢力は廃れたもののそれでもなお豪勢な遊楽のできる家だった。だが、漱石にとって重要なのは、裕福な子たちの集まる裕福な大学では、彼の仲間たちがみな彼以上に金持ちだったことだろう。なんにしても、〈漱石が人間なみの基準としていた「教育ある者」になることのできる人は、事実としては、士族・大地主・豪商などの子弟でしかなかった〉。

 しかし『私の個人主義』においても見られるように、彼は他我への尊重ということも忘れていない進歩的な個人主義だった。無意識ながらも、自分の抱える矛盾に漱石は気づいていた。だがやはり意識的には、気が付かなかった。漱石個人主義は「我」を通すために孤独な戦いを強いた。「我」を通すためには誰もが敵になる。それが彼の家庭での振る舞いに現れた。一方で、彼はエゴの醜さを作品を通して描き、『それから』で人妻を奪い返させ、『門』で人妻を奪った罰を描き、『心』において先生を自殺させた。