アドラー心理学の理論的基礎
アドラー心理学は次の仮説に基づいている:《人はそれぞれ社会的な環境の中にあり、決定と選択の能力を持った、分割できない存在である》(p21)。
- すべての行動には社会的な意味がある 私たちの行動は社会的な文脈の中で起きる。他者との相互関係は持続的で生涯続くプロセスである。この仮説の必然的な結果として、この心理学は人間関係の心理学ということになる。
- パーソナリティには統一性とパターンがある アドラー心理学は全体論的であり、還元主義を否定する。パーソナリティをばらばらに分解して捉えようとすることはしない。
- 行動には目的がある
- 意味を求める努力が動機を明らかにする 《人はそれぞれ自己改善のために努力し、もっとよくなろう、優越しよう、あるいは前向きにまた上昇しようとする生まれつきの願望を持っている》(p29)。そして《劣等感が人間のあらゆる努力の源泉である》(p29)。
- 行動は主観的な認知の機能である アドラー心理学は主観的な現実を取り扱う。
にんじん’sメモ
上の説明では何もわかったことにはならない。アドラー心理学はアドラーの心理学であるから、心理学一般の定義に「アドラーの」という意味で上述の仮説を適用することで得られる。
心理学とは《行動と心的過程についての科学的学問》である。ゆえに、心理学における基礎的な概念は〈行動〉と〈心的過程〉である。なぜそのように行動したか、そこにはどのようなプロセスがあったのか、を説明しようとする。
- すべての行動には目的が存在する これはある人の行動を目的論的に説明することを意味する。たとえばなぜ駅に行ったのかと問われて彼の足の筋肉がしかじかな動きをしたからだと説明することはしない。
この仮説には、行動の目的は〈個人〉が作り出すものだという含意がある。なぜなら、完全に機械論的な世界観では目的などというものは持ちようがないからである。しかし完全に個人の意思で目的を創造し続けるわけではない。
① すべての行動は社会的な文脈のなかで起きる われわれは周りから完璧に独立した存在ではなく、ある社会のなかに生れ落ち、そこで生活していく。[制限]
② 個人とはそれ以上分割できない統一体である つまり、人間を意識と無意識に分解したり、脳や顔、腕、体、足などとバラすことはしない。その人間が最小単位である。もちろん全体には部分がある。しかし部分は全体のためにはたらく。ここで主張されていることは、部分の組立として全体ができているわけではない。全体の目的に奉仕するように、部分もはたらく。[個人]
③ 人は自己改善しようとする先天的な願望がある もっとよくなろうとする傾向がある。つまり劣等感が人間の努力の源泉である。劣等感を感じるとそれを補償するためにいろいろなことを始める。[行動の傾向]
※行動は主観的な認知の機能である、ってなに?