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臨終の自然なプロセス

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 臨終前に最も特徴的なのが「下顎呼吸」である。スー・ハーのリズムが不規則になるのだ。息を吸う時に下の顎が上に上がり、息を吐くときにゆっくりと顎が下に下がる、というように説明されるが、要は口をパクパクするわけで、これは呼吸と言いながら肺に空気は全く入っていない。もちろん、不規則なのだから実際は「パー……クー…………………パー……」のようになるんだろう。

 『無知の死: これを理解すれば「善き死」につながる (小学館新書 し 16-1)』という本では、ドラマなどでよくある臨終を「絶対にありえない」と否定している。つまり死ぬ人が布団に寝ていて周りに家族がおり、時折苦しそうにしながら一人ひとりに遺言していくのだが、やがて返事がないことに気付き、首がかくんとうなだれる、というようなものである。まあそもそも臨終時に家族に囲まれているところがドラマ的なのだが著者が言いたいメインはそちらではない。死ぬ前に何か恐ろしい出来事が内部で起こっているわけではない、ということだ。「うっ、ガクッ……」とか「死にたくなーーーーい!!」とかといった死に方はフィクションのなかだけで、現実にはそこに自然な・共通するプロセスがあるのだという。

 著者は自分の母親の臨終に際して、クリニックで発行されているパンフを読む。

そこには、死が近づくと、食事の量が減り、次の尿の回数や量も減り、手足が冷たくなったり、色も変わったりすると書かれていた。そして、「呼吸が変化します」という項目もあり、そこには次のように書かれていた。

「のどの奥がゴロゴロと鳴ることがあります。呼吸が不規則になります。顎だけでしゃっくりをあげるような呼吸を『下顎呼吸』と言います。亡くなる直前のサインです」(略)「このとき、本人は苦痛を感じていないので、見守ってあげましょう」

無知の死: これを理解すれば「善き死」につながる (小学館新書 し 16-1)

 こういう風にして死ぬのが「自然」らしい。個人差はあるが、食えなくなって一週間、尿が出なくなって2・3日で死ぬという。下顎呼吸があったら24時間以内と覚悟したほうがいいらしいが、著者の母は30分で亡くなっている。銃殺されたり、デスノートに書かれたり、ゴールド・ロジャーのような目に遭ったりしたらこの限りではないのだが、物事がふつうに推移すればこうなるのだと。著者も指摘しているように、パンフの著者は死んだこともないのに「苦痛を感じていない」などと書いているのが気にかかるが、父母の臨終に立ち会った著者からすると、まあそうなのかなと納得できるものだったという。ちなみに、苦痛を感じていないというのは意識が混濁していて何も感じていないかららしい。だから「死にたくなーい!」は無い。生きたいとか死にたいとか言っていられる元気さえないのだ。

 ところで「中治り現象」というのがあって、飯を食えなかった老人がいきなり起き上がって何か食べたいと言い出したりすることがあるが、これも死の前兆であり、回復に向かうことはない。脳内麻薬のなせるわざであり、「娘が見舞いにきてくれた」と言い出す「お迎え現象」も脳内麻薬のおかげである。

 この本を読んで多少死の恐怖はやわらいだように思う。銃殺される心配はしないといけないし、病気の症状で苦しいのはいやだが、死ぬ瞬間については大丈夫なのかもしれない。下顎呼吸がどうたらといっているが、実際のところ、「俺、下顎呼吸してるな。ああ、死ぬんだ」と意識することはなさそうだ。まさに「眠る」といった感じで、死ぬ瞬間などはわからないのかもしれない。