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にんじんと読む「恐怖の地政学」🥕 中国

 もしウクライナに山地があれば、過去戦争を仕掛けて来た国々は容易に攻め込むことができなかっただろう。『地政学とは、おおまかに言うと、国際情勢を理解するために地理的要因に注目する学問である。地理的要因には、自然の要塞となり得る山脈や川筋のつながりといった物理的な地形はもちろん、気候や人口統計、その土地固有の文化、天然資源の埋蔵量も含まれる』。もちろん指導者のアイデアや科学技術等の要因だって重要だが、時代が変わっても、ウクライナに山地という物理的障壁はないし日本に大量の石油はないことに変わりない。地形のルールがあるのだ。

中国

 中国あたりの文明誕生は華北平原である。ここは今の中国の中核地でもある。

 中国の東側を三層に分けるように、黄河と長江が流れる。黄河はやたらと大規模な洪水が起こるので「漢民族の苦しみの種」というあだ名を持つ。産業化が本格化したのは1950年代のことで、現在は有毒廃棄物で流れが滞っている。とはいえ、エジプトのナイル川と同じぐらい、そこが中国の文明のゆりかごとなった。農業を学び、紙や火薬づくりをそこではじめたのだ。それより北に行くと、ゴビ砂漠という不毛の地が横たわる。つまり今のモンゴルだ。一方、西のほうは盛り上がっていて、チベット高原となった。

 長江と黄河という二つの大河の流れるこの肥沃な平地は、適当な気候も手伝って、米や大豆が年に二回とれた(二期作)。このおかげで人口は急増。無数の小規模国家が誕生しボコボコに殴り合い、紀元前1500年に殷王朝が成立。古代王朝は自分たちを守るにあたって、まずモンゴルを恐れた。今もそうだが、中国とロシアの戦略は同じである。つまりこうだ。「攻撃は最大の防御」。そのあとどんどん領地を広げ、遂に黄河と長江を人工水路で結び、漢民族アイデンティティを強く自覚し、徐々に内側で争うことはなくなってきた。十一世紀初頭、北から攻め込んでくるモンゴルとの対決に一丸となって注力することとなったが、1271年にフビライ・ハンに乗っ取られた。元王朝の誕生であり、政権を漢民族に取り戻すのに90年かかった。それが明王朝

 沿岸地はヨーロッパとのやりとりもあって栄えた。とはいえ、長く居座ることには難色を示したが、徐々に海岸線を開放。しかしその分内陸部がおろそかになった。実はこれは今も続いており、中国の豊かさは内陸の農村部には全然到達していない。これによって当然、都市に行こうということになり、地域格差は拡大する一方となっている。

 中国の国土は拡大を続け、18世紀には南にインドシナ半島ビルマ、北西部の新疆も征服した。新疆は険しい山岳地帯と砂漠を擁するめちゃくちゃデカい土地で、中国最大であり、イギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・スイス・オランダ・ベルギーをはめこんでもまだ隙間があるぐらいデカい。しかし征服したこともあって、宗教が違った。イスラム教だ。安定するわけもなく暴動は各地で起こったが、そんなに骨を折っても維持し続けるのはそこが緩衝地帯、つまりカベになるからだ。19世紀から20世紀の帝国主義の列強が乗り込んできてからは、なおさら重要視するようになった。しかも東から日本とまで争いになり広大な土地はがんがん奪われていった。第二次世界大戦終結し、満州ソ連へ、そしてソ連がつぶれてようやく帰って来た。1951年にチベットを併合しようやく元通り「ひとつの中国」なったのだが、内部で共産党と国民党が主導権争いを繰り広げ国民党が台湾へ逃れ、そこに臨時政府を置いた。それが、いま台湾と中国には深い対立になっている。

 

 さて、ともかく今の中国は東西南北に防波堤がある。北のゴビ砂漠は、隠れる場所などなく補給が困難だ。東側の隣国はロシアのうちでも極東の山岳地帯で、人を寄せ付けず、住人はほとんどいない。もしロシアが中国を攻めようと思うならそこを越えて、満州で激突することになる。しかし今のところ、ウクライナとの問題もあってロシアが中国に攻め込む理由はまったくない。そしてもちろん海も重要だ。もう少しいくとヒマラヤ山脈があるが、海とヒマラヤの間には他国と陸続きのところがある。ここだけが唯一中国にとっていらだたしく、数世紀にわたって争ってきたが、軍事力の増強に伴って制御できる存在になりつつある。しかしヒマラヤ山脈や新疆といった中国にとっての「カベ」は、やはり向こうにとってもそうなので、争いは絶えることはない。特にチベットと新疆は、今もニュースになる。地政学的に見ても、中国がチベットや新疆ウイグルを手放すはずはない。

 共産党が自由投票など認めないのは、そんなことをしたら独立運動がますます盛んになり、「中国の弱体化」を招くからだ。彼らは国民に「暮らしをよくするから言うことを聞け」という。が、さきほども見てきたように、この取り決めはたびたび破棄されてきた。しかも中国国土は近代化によって耕作地が汚染されあるいは薄くなり、食糧生産がおぼつかない。生活を豊かにするためには産業を発達させたいが、発達させると飢えるという板挟みだ。そこで彼らが世界に持ち出す取引は「低コストで商品を作るで」である。この条件でなんとか持つが、将来的な心配は製品の原材料の枯渇である。それにもし商品を輸出できなくなったらどうするのか。輸出入がうまくいかなくなるのは他国の海上封鎖が原因だ。つまり必要なのは海軍だという話になる。だが中国は長年陸軍国家であった。アメリカ軍に立ち向かうなどできるわけもなく、三十年はかかるが、中国の船は今もどんどんと海に出ている。

 太平洋に繰り出すのに邪魔でしょうがないのが日本である。尖閣諸島というのがうまく手に入らないおかげで、中国は大きな回り道をすることになっている。回り道した先には大規模な米軍基地があり、ミサイルも配備されている。南にある海も問題だ。中国にとって厄介な島々がたくさんあり、自由に動けない。それもあって、中国が描く中国の地図によると南シナ海ほぼ全域は中国の領土になっている。意思表示だ。中国は東南アジアの国々がアメリカ寄りにならないようにアメとムチと使い分けつつ迫っているが、諸国は保護を求めている。