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にんじんと読む論文「Haack’s foundherentism is a foundationalism(Peter Tramel 2008)」

 この論文ではハークの基礎づけ整合主義が基礎づけ主義であることを主張する。彼女は自らの立場を基礎づけ主義と異なるものであると考えているが、それは弱められた意味での基礎づけ主義と一致する。

 まずハークが自らの立場を基礎づけ主義と異なるという根拠を見てみよう。彼女は基礎づけ主義を次のように特徴づけている。:

(FD1) Some justified beliefs are basic; a basic belief is justified independently
of the support of any other belief;
and:
(FD2) All other justified beliefs are derived; a derived belief is justified via the
support, direct or indirect, of a basic belief or beliefs.

 すなわち、(1)いくらかの正当化された信念は基礎的である。その意味は、他の信念からの支持を受けずに独立に正当化されるということである。(2)その他の正当化された信念は派生的である。その意味は、直接的あるいは間接的に、単数あるいは複数の基礎的信念によって正当化されるということである。

 彼女はこのように基礎づけ主義の本質を基礎的/派生的という信念の区分にあるとみなし、基礎から派生への後戻りすることのない一方向的な関係にみている。つまり基礎的信念が基礎的信念によって正当化されることはありえないし、基礎的信念が派生的信念に正当化されることはない。だが一方で、彼女自身の立場である基礎づけ整合主義(Foundherentism)はそのようなタイプの正当化を許す。ゆえに、基礎づけ整合主義は基礎づけ主義ではない。(Dependence Types argument『依存タイプ論証』)。

 より詳しく見れば、依存関係のタイプには次の四つがあり、3と4は基礎づけ主義の特徴づけによって排除されると述べている。:

(i) 派生的な信念は基礎的な信念または複数の基礎的な信念によって正当化される。
(ii) 派生的な信念は他の派生的な信念または複数の派生的な信念によって正当化される。
(iii) 基礎的な信念は他の基礎的な信念または複数の基礎的な信念によって正当化される。
(iv) 基礎的な信念は派生的な信念または複数の派生的な信念によって正当化される。

 

 依存タイプ論証を聞いて疑問を呈したのがBonJourである*1。彼によれば、ハークは基礎づけ主義を過小評価し、自身の立場を過大評価しているのだという。

 まず、ハークは基礎的信念が派生的信念に正当化されることがないと論じているが、ある弱められた形態の基礎づけ主義はそれを許すと解釈できる。また、基礎づけ整合主義は整合主義でないとハークがいうように、彼女自身、信念がその信念間の関係のみから(つまり、整合的な関係)正当化されたとかいうことはできないと認めている。するとそれは一体なにから正当化を得るのか。基礎的信念ではないのか。そう疑っているのである。

 BonJourが提案するFeeble Foundationalismをみてみよう。さきほどのハークの基礎づけ主義の特徴づけに出て来た『他の信念からの支持を受けずに独立に正当化される』という基礎的信念の文言は、たしかに『他の信念からサポートを一切受けない』というようにも解釈できるけれども、『非信念的要素から正当化を受ける』とも読める。この解釈を採るならば、他の信念からの正当化については何一つ限定していないことになる。それを利用して、Feebleな基礎づけ主義は次のように特徴づけられる。

(FD1C) Some justified beliefs are basic; a basic belief possesses justification that
it does not owe to any other belief.
and
(FD2) All other justified beliefs are derived; a derived belief is justified via the
support, direct or indirect, of a basic belief or beliefs.
and
(FD3) All justification in a structure of justified beliefs derives, either directly
or indirectly, from the justificatory support of basic beliefs.

 すなわち、(1)正当化された信念のうちいくらかは基礎的である。つまり、他の信念によらないような非信念的な正当化を持つ。(2)派生的な信念は同様、(3)正当化された信念の体系に見られるすべての正当化は、直接的あるいは間接的に、基礎的信念に支持される。

 この三番目の条件は最初のハークの特徴づけでは明文化されていなかった。もしこの条件がなければ、派生的信念Aが基礎的信念Bに正当化され、Bが派生的信念Cに正当化され……ということが延々と続くことになる。feebleな基礎づけ主義の場合、たしかに基礎的信念が部分的に派生的な信念に正当化されることを認めたけれども、しかし結局その正当化は基礎的信念に由来するのだということが述べられている。

※ この特徴づけには無理があるように思える。なぜなら、feebleな基礎づけ主義において、「基礎的信念」というのは非信念的要素から正当化されるという以外は、他の信念とフラットな関係にある概念だからだ。それなのにFD3のように基礎づけ的な強い性質を改めて輸入することができるのだろうか? 著者も認めているように、この点に関しては別途議論が必要な事柄である。しかし、もし輸入することができないならば、ハークの基礎づけ主義の特徴づけとは別に、基礎づけ主義本来の「正当化の連鎖を食い止める」という伝統的な目的を一切果たさないことになり、どんな意味でもFeebleな基礎づけ主義を基礎づけ主義と認める理由はないことになる。そうなると、Feebleな基礎づけ主義と整合的基礎づけ主義が同じで、整合的基礎づけは基礎づけ主義に過ぎないのだと主張するこの論文の全体像が崩れ去ることになる。そしてまた、弱い基礎づけ主義は根拠の連鎖を止めることができず、誰も知識を持てなくなる懐疑論に落ちる。

 

 Feebleな基礎づけ主義が基礎づけ主義であることの論証は以下の通り。:

  1.  もしも正当化の依存の連鎖(例えば、信念Aは信念Bに正当化を借り、Bはさらに信念Cに借りている、そしてそう続く)を基礎的信念で止めるような正当化理論であれば、それは基礎づけ主義である。
  2.  non-feebleな基礎づけ主義(ハークの特徴づけ)は基礎的信念で正当化の依存の連鎖を止める。
  3.  もしもnon-feebleな基礎づけ主義が基礎的信念で正当化の依存の連鎖を止めるならば、feebleな基礎づけ主義も同様に止める。なぜならnon-feebleから輸入されたFD3があるから。
  4.  従って、弱い基礎主義は基礎主義である。

 上述の※において3に疑問を呈したが、今はともかくこれを認めることにしよう。

 1において基礎づけ主義というものを依存の連鎖を断ち切る解決策として提示しているのは、基礎づけ主義本来の伝統的な定義によるものである。そもそもその関心のもとに、基礎づけ主義という立場はある。

 ハークももちろん基礎づけ主義というものを正当化の連鎖を断ち切るものとして理解してはいるが、なぜか彼女はfeebleな基礎づけ主義を基礎づけ主義とは認めない。それは冒頭に書いたように、彼女にとって基礎づけ主義とは「基礎から派生へ」の一方向性を本質に持ったものであるからだ。だがこの考えには賛同できない。なぜなら彼女は基礎づけ主義を特徴づける際に一方向性を強調しているが、その論拠については権威に訴えるだけで何も示していないし、その権威すらも一方向性についてはそれが本質であるなどとは言っていないからである。

 以上によって、feebleな基礎づけ主義がまさに基礎づけ主義の一種であり、ハークの反論には効果がないことを示したこととしよう。

 

 次に見ていくのが、ハークの基礎づけ整合主義が基礎づけ主義にすぎないという点である。先述したように、ハーク自身が認める通りに信念間の整合性によってだけでは、その信念の正当性は示されない。それが基礎づけ整合主義と整合主義が異なる理由だった。だが一体、何によって正当化されるのか。それは基礎的信念によってであるというのが答えであり、つまり、彼女の立場は基礎づけ主義である……これが道筋である。たしかに彼女の基礎づけ整合主義はnon-feebleな基礎づけ主義と異なる。それは『依存タイプ論証』において示されるだろう。だがfeebleでないことはこの論証においてはまったく示されていない。

 また、一方向性は基礎づけ主義の本質ではないので、これを否定したところで基礎づけ主義の一形態でなくなることはない。それはfeebleな基礎づけ主義で見た通りで、そこには弱められた意味での基礎的/派生的の区別がある。そしてまた、彼女の整合的基礎づけにおいてもこの区別が見られる。それが彼女のいう「経験的なS-evidence」であり、これは信念によって正当化されず、ただ他の信念を正当化するのみであり、これを用いて基礎的/派生的の区別をつけていくことは容易である。

 

 

 

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*1:BonJour, L. (1997). Haack on justification and experience. Synthese, 112, 13–25.