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にんじんと読む論文「Virtue Foundherentism」

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 Susan Haackが提唱したFoundherentismを説明し、擁護し、批判する。すなわち、よくある誤解を排除し、Andrew C. Cluneによる「Haackは隠れた検証主義者だ」という批判に対し反論し、Haackが軽視している「徳」の問題について言及しよう。

説明

 Haackは伝統的な認識論の問題、つまり何を知識と呼ぶかという問題をさらに掘り下げる。Haackは、正当化された真の信念を確立するための条件、基準、ルールを発見する伝統的なプロジェクトが依然として有効であり、価値のある追求であることを示したいと考えています。したがって、Haackが認識論を根本的に再構築する最初の動機は、哲学の終焉を宣言し、Richard Rortyに従って認識論の終焉を叫ぶことなく、「伝統的な知識と真実の追求」の「難しい道」を進むよう私たちに促すことです。

 この伝統的な問題は、基礎付け主義と整合主義の対立に行き詰っていた。Haackはこれらの比較によってFoundherentismという中庸的な立場に達した。これはそれぞれの立場の長所を保持したまま、困難を克服する道である。

 彼女の著書「EVIDENCE AND INQUIRY」のCh1,2,3においてはまず基礎づけ主義と整合主義の検討に着手する。基盤主義は次の二つの問題を抱えている。

  1.  Swings and Roundabouts Argument:基礎づけ主義は、一部の信念を他の信念よりも優先して正当化すると主張しますが、その結果、より安全な信念を得る代わりに、より多くの情報や内容を犠牲にしなければならないというジレンマが生じます。つまり、一部の信念を非常に安全にするためには、他の信念の内容が制限されることになるという問題です。これは、基礎付け主義の信念の選択が、信念の安全性と情報量の間でトレードオフを強いるという指摘です。

  2.  Up, Back and All the Way Down Objection:基礎づけ主義は、上位の信念が基本的な信念を正当化すると考えています。これは一方向的な正当化プロセスを意味します。しかし、実際には上位の信念と基本的な信念がお互いに影響し合っており、正当化が一方向的ではないという問題があります。つまり、基盤主義が持つ一方向的な正当化の枠組みは、現実の正当化プロセスには適合していないという指摘です。

 一方、整合主義は、正当化が特定の信念体系内の信念との一貫性によってのみ決まるという立場である。しかし、この立場には次のような二つの異議がある。

  1.  孤立の異議(酔っ払った船員の異議): 一貫性が信念体系の正当化のための必要かつ十分な条件であるため、一貫した信念体系でも真でない信念を含むことがある。つまり、信念体系が一貫しているからといって、その中のすべての信念が真であるわけではない。
  2.  要求が多すぎる異議:完全に一貫した信念体系を持つことは非常に難しいか、現実的には不可能であるとされる。人間の認識は限界があり、完全な一貫性を保つことは非常に困難である。そのため、統合主義の要求が現実的ではないという異議がある(全体として整合的でないといけないので、たとえば目の前に犬がいるかいないかが、地球の自転周期に影響する)。

 そして第四章においてこの問題点を克服したFoundherentismが提案される。それは経験の実証との関連性を許容すること(これには因果的な側面と評価的な側面の相互作用の明確化が必要)と、信念間の普遍的な相互支援を許容すること(これには合理的な相互支援と問題のある循環の違いの説明が必要)を含む。

 

 Haackのfoundherentismの基本を理解するためには、まず彼女の区別、用語、および定義を理解する必要がある。まず「信念」という用語について見よう。信念は信じていること(S-信念:信念状態)と信じられているなにか(C-信念:信念内容)に区別される。S-信念は、たとえばその個人が持っている感覚的または内省的な状態を指す。簡単に言えば、S-信念は誰かが何かを信じること、つまり信じる行為と同等であり、一方、C-信念は彼らが信じる内容を指す。したがって、信念の内容またはC-信念は、個人の信念の状態(S-信念)から構成できる命題または文を表す。

 「AのC証拠がどれほど良いか」は、次の3つの別々の要素で構成され、相互に依存しする:1)因果関係のあるS-信念、2)S-信念からC証拠への変換、3)評価の段階またはAの証拠がpに関してどれほど「良いか」。つまり正当化にあたっては、まずAがpを信じる行為、状態、または過程において関連するすべての感覚的、内省的な状態などが含むS-信念を考慮し、そのS-信念を反映するC-信念という文を考慮し、最後にC-信念を既に持っているさまざまなものと関連付けてその整合性をチェックする。

 Haackはこのことをクロスワードパズルにたとえるのが好きだ。

 クロスワードパズルは3つの要素で構成されている。まず、交差するエントリーがすべて含まれるパズルそのもの。エントリー自体。適切なエントリーを埋めるための手がかり(横方向と縦方向の両方)。……成功したクロスワードパズルは、すべてのエントリーが正しく埋められているかどうかにかかっている。ただし、クロスワードを「埋める」には、各エントリーが対応する手がかりに正しく答え、すべてのエントリーがすでに埋められた交差するエントリーに適切に適合またはサポートされる必要がある。

 つまりこうだ。信念の正当性は3つの相互関連したが独立した側面に依存する。

  1.  第一に、C-evidenceがpに関してどれだけ有利であるか、言い換えれば、私たちの証拠がクロスワードパズルの手がかりにどれだけ適合しているか。
  2.  第二に、クロスワードパズルの手がかりやエントリーとは独立して、私たちの証拠がどれだけ確実であるかです。つまり、対応する手がかりによれば、C-beliefと直接交差するすべてのエントリーが正しいと確信しているかどうか。
  3.  最後に、クロスワード全体を見る包括性の条件。クロスワードの手がかりに関連するすべての適切なC-evidenceを調査したか? 命題を調査する際に考慮すべき他の要因はあるか?それらを定義する際に十分な注意を払ったか?クロスワードパズルのどれだけが埋められたかなど。

擁護

 クルーンは「Justification of Empirical Belief: Problems with Haack’s Foundherentism」という論文において、Foundherentismが信頼性主義の一種であると主張している。というのも、Foundherentismにおいては特定の信念を支持する証拠が多ければ多いほどより正当化されるから、つまりより信頼性が高いという。Haackが提供している正当性の説明は結局のところ、感覚というものの信頼性にもとづいているという。

 しかしこれは誤解である。Haackは真理というものを突き止めている訳ではない。正当化は単に真理を指し示すといった程度のことしかできないと主張している。私たちは合理的な理由にもとづきそれらを信じる。それが私たちにできる限りのことなのである。クルーンはこの正当化の評価的な側面を見逃しているのである。それに私たちの感覚というものは既に理論によって染められており、完全に世界を反映するものではないことにも注意しなければならない。Haackはこのことを第五章において述べている。私たちの感覚はきわめて人間的なものであり、知覚は真理を映し出すように思えるけれども実際はそれとは関係がない。知覚は常に生物学的に、無意識的に、あるいは意識的に解釈されている。それ自体では特に信頼性はない。Foundherentismはより包括的な立場からその正当性を評価している。

批判

 Haackの正当化理論は正しいと感じる。つまり、私たちはある主張を正当化する際に、それを支持すると信じる証拠に基づいているとしか言えず、同時に、私たちは自分たちの推論能力や証拠収集の方法が妥当で信頼性があると信じなければならない。

 しかしHaackが見過ごした問題もある。つまり、主体Aにはpを維持する証拠とpを阻止する証拠を区別する能力が求められ、妥当かつ信頼性のある推論のために必要な能力も持っていなければならない。要するに、Haackの立場には、任意の経験的探求を完全に正当化するためにAが持つ必要がある特定の知識の美点に関する説明がさらに補完される必要がある。つまり徳(Virtue)である。