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にんじんと読む「哲学と論理」第一章

哲学は人間が世界を理解(メタ知識的認識)する運動である.しかし,運動の意識は時間とともに消滅する.それに対して,運動の痕跡は存在する.それゆえにその痕跡を再現し、意識化するためには物理的痕跡が必要となる.この痕跡が記号であり,意識の再現(復活)である.そして,人間が世界を言語で記述することによって認識として継承する.

哲学と論理 記号論的方法

 ここでは基礎的な部分だけ要約します。これをもとに哲学的混乱が解明されていく様子を、是非読んでみてください。

記号論と論理学の基礎

 記号過程(=記号現象が成立する過程)には、「記号」「記号の意味」「記号の解釈者」という三つの要素にくわえて、「記号体系」すなわち記号とそれとの意味を定める規則の体系が必要である。記号体系の違いによって、記号は「指標信号」「類似信号」「象徴信号」に分けられる。

  •  たとえば稲妻を見れば人は雷鳴を予感し、風見鶏の向く方向は風の吹く方向を意味している(指標信号:記号体系が自然的因果関係)し、
  •  ある絵を見てそれをウサギと思うのも記号現象であり絵は記号となっている(類似信号:記号体系が解釈者の想定する類似関係)。ウサギの絵がアヒルに見えたりすることもあり、解釈者が想定する類似関係に依存しており、指標信号に比べて結びつきはゆるやかである。
  •  最後の象徴記号は、交通信号や言語などの規範的関係が記号体系となっている場合であり、制約もなにもなく記号と意味のつながりは恣意的なものである。

 象徴記号は「非言語シンボル」「言語」に分けられ、言語には自然言語人工言語がある。自然言語は実際に使用される表現に基づいて記号体系が後から作られ、人工言語はまず文法が作られる。

 言語における記号過程は四要素を考慮して次のように記述される。:

『モリスにとって「Socrates」はソクラテスを意味する英語の固有名である』

『モリスにとって「wise」は"賢い"を意味する英語の述語である』

 モリスにとってはそうかもしれないが他の解釈者にとってはプラトンを意味しているかもしれない。ただwiseについては英語の規則として規範的に決まっているとされる。前者のような意味を「指向対象」、後者を「指示対象」という。ある記号体系を前提としたとき、解釈者と記号と指向対象の三項関係を「指向関係」といい、解釈者を除いた記号と指示対象の二項関係を「指示関係」という。前者を扱う記号論の分野を「語用論」といい、後者を扱う記号論の分野を「意味論」という。翻って、指向対象を語用論的意味、指示対象を意味論的意味ともいう。解釈者が記号を正しく使用しているといわれるのは二つの意味が一致した場合である。

 また上の記述について””意味””を捨象して次のように語ることもできる。:

『「Socrates」は英語の固有名である』

 このような広い意味での記号の関係を扱う記号論の領域を「構文論」という。

 数学における証明される、証明可能という概念は「構文論」に属する。なぜなら記号の意味に言及せずに記号の操作だけでなされるからである。ここにいう「証明」「論駁」に対応する意味論の概念は「真」「偽」であり、語用論の概念は「検証される」「反証される」である。真偽は解釈者に関係なく決まっているもので指示的対象と現実の対象を見比べることで決定されるが、検証については解釈者のもつ証拠、知識に依存しており真偽のように絶対的なものではない。

 また、意味というものを語用論的意味・意味論的意味に分けるのとは別に、「意味」「意義」として分けるフレーゲ流のやり方もある。

  •  まず固有名について見てみよう。宵の明星と明けの明星はその意味を同じくするが(金星)、それらの意義は異なる。たとえ浦島太郎のような固有名はフィクションの人物であるから現実的な位置をもたないが(つまり意味がない)、それでも何を言ってるのか理解不能になるわけではなく、意義を有する。このような固有名の意義は「個体性」といわれる。そしてたとえばソクラテスという固有名は、ソクラテスギリシャ人である、哲学者である、賢い……といった性質の束としてのソクラテス性を有する唯一の個体として理解される(「性質の束説」)。意味と意義という言葉は、外延・内包と言い換えてもよい。集合と性質はよく混同されるが、互いに異なる。心臓を持っている動物の集合と腎臓をもっている動物の集合は外延として一致しているため集合としては同一だが、心臓持ちの動物という性質が腎臓持ちの動物という性質と一致しているわけではない。(固有名の外延:個体。固有名の内包:個体性)
  •  述語の外延はなんだろうか。述語は「xは心臓を持っている動物である」というように一つの個体を相手にすることもあれば、「xとyは親子である」というように二つの個体を相手にすることがある。このような「二項述語」の外延は<x,y>という順序対の集合となる。では内包はなんだろうか。それはそのような組の持っている性質である。なお、固有名の内包は個体性という性質であるから固有名自体も述語の一種とみなせる。この場合固有名xの外延は{x}である。(述語の外延:個体あるいは個体の順序対の集合。述語の内包:個体あるいは個体の順序対の集合)。
  •  では文の外延はなんだろうか。文の外延は「真理値」と考えられている(外延=意味というのは「文全体の真理値への寄与」と考えられているから。詳しくは

    フッサール 志向性の哲学『志向性の真理』で)。だがたとえば「ソクラテスは哲学者だ」「プラトンは哲学者だ」は両方真だが、まったく同じ””意味””だとはいえないだろう。文の内包は現実に起きている起きていないにかかわらず語ることのできること、「事態」であると考えられる。真なる事態を事実と呼ぶ。ソクラテスは哲学者ではないという文はまったく無内容の文ではなく、そのような可能的な事態を指しており、真である(文の外延:真理値、文の内包:事態)。

 ところで、記号論を述べるためには言語が必要である。「Socrates」が何かを語るためには日本語を必要としたように。つまり、言語は語られるもの(対象言語)でもあり、語るもの(メタ言語)でもある。それゆえ言語は階層性を持つ。対象言語とメタ言語をまったく同一のものとすることはできない。いわば、メタ言語は対象言語よりも豊かなのである。これは単に言語というだけでなく、記号体系一般に関してもいえることである。

 記号論の体系には「構文論的体系」「意味論的体系」「語用論的体系」がある。

 構文論的体系は形成規則と変形規則からなる。形成規則において、どの記号を用いるか(記号の規則)、それらの記号からどのように文が形成されるか(文の規則)を述べる。変形規則は「前提……から結論……が導出される」という形で与えられる(導出規則)。前提のない導出規則を公理といい、公理をもつものを公理体系、もたないものを演繹体系という(例:自然演繹)。

 意味論的体系は形成規則と意味論的解釈規則からなる。形成規則は構文論と同じだが解釈規則は指示表現の指示対象を決定する。最終的には「文iは言語Lにおいて事態pを指示する」を定義する。たとえば真であるということも定義される。ところで「証明」「導出」というのは構文論的な概念であり、「真」とは区別される。形成規則を同じくした公理体系Kから証明される定理がすべて真であるとき公理体系は「健全である」といい、逆に真であるような文が公理体系において証明されるとき「完全である」という。公理体系はふつう、健全で完全なものが目指される。ところが「ゲーデル不完全性定理」によって、証明と真は区別しなければならないものであることがわかってしまった。ただ真であるということもいろいろ考え方があるし、導出規則において無限個の前提を認めるか否かということもあるし、議論はそこで終わったわけではない。ただ、真と証明はやはり区別されなければならないことには変わりない。

 語用論的体系は形成規則と語用論的解釈規則からなる。形成規則はやはり同じだが、語用論においては「解釈者xに対して文iは事態pを指向する」が用いられる。意味論におけるものに対して、語用論においてはそれは解釈者xの状態を記述したものであり、それは偶然的である。これに基づいて「検証」「アプリオリ」が定められる。:

 解釈者xに対して文iは検証される とは

 xに対してiは事態pを指向し、しかもxによってpであると認識される

 文iアプリオリに検証される とは

 どのような証拠にもとづいてもiは検証される

 といったようなことである。