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にんじんと読む「行為主体性の進化」 第四章まで

第一章 はじめに

 霊長類や哺乳類はたとえば昆虫たちより知的にみえるが、行動の複雑さの観点では大した差はない。ただ、昆虫たちの行動が進化によって培われた生物学的規制(バイオロジー)に基づくのに対して、哺乳類はある程度は個体のコントロールのもとで情報に基づく決定を能動的に下す心理的規制(サイコロジー)に基づいているように思える。もちろん哺乳類も生物学的規制、すなわち進化を通じて獲得した能力の範囲内で行動しているが、たとえばリスが越冬のために木の実を蓄えるというバイオロジー的行動は時の場合によって臨機応変に対応しなければならない。リスはその都度なんらかの決定を下しているのだ。その観点で見れば、哺乳類は昆虫たちに比べてこの決定の自由度が高い、といえるかもしれない。そこにいる「個体レベルの行為主体」という概念は、頭の中でコントローラーを握る小人を連想させ評判が悪いが、私たちはわざわざ小人という物質や実体を持ち出さなくても、進化によって獲得した「フィードバック制御組織」という行動組織によって説明することができる。そこでのポイントはやはり、生物が生息する自然というものがだんだんと変化し、単純なプログラムでは対応できなくなるという予測不可能性であろう。

 

第二章 行為主体のフィードバック制御モデル

 さて、行為主体は単純な刺激➡反応ではなく、流動的な周囲環境を考慮しつつその都度そえに基づく決定を下し自己の行動を調節する。逆に、未知の状況下での柔軟な行動こそが行為主体の存在の証拠となっていたのだった。いったいどのようにしてこのようなことがありえるのか、進化論的に筋道を問うのが本書の基本的な目標である。刺激からの反応という機械的な、線形的なモデルは多くのことを説明しはするが完全ではない。環境からの入力に対して結果を出力というスイッチがずらりと並んでいるシステムから、もう少し複雑なものに視点を移してみよう。

 エアコンというものは室温を感知してその温度が基準値を超えると目標室温に向かって動作し始める。たとえば22度設定の暖房は20度の室温を感知すると目標温度との比較によって動作を決定する。やがて室温が22度に達するとやはり目標との比較によって動作を停止する。この循環性は単なる入れて切るだけのスイッチとは異なる。ここにあるのは「22度以下なら動作」というスイッチではない。もしそうならば、稼働中に設定温度を変えてしまったとしても、エアコンは22度に達するまで止まらないだろう。もしカメラで捉えた落ち葉に反応する落ち葉掃除機が落ち葉を発見して動き出したとしよう。風で落ち葉が吹き飛び、そこにはもう何もないのに動き続けるのと、カメラに落ち葉が映っていないことに””気づき””動きを止めるのとでは、やはりシステムとしてまったく異なるものだろう(フィードバック制御システム)。そしてまた、多くの場合どちらのほうが効率的に仕事をこなすシステムであるかは明らかだと思われる。

 機械に対して「目標」という言葉を使用することに抵抗を覚えるかもしれないが、人の代わりとして設計されたものだからある程度有用であるし、ここでは単に「基準(望ましい状態)を感知すること」として捉えよう。望ましい状態がなにかは一旦措いて、ひとまずそのようなものなのである。たとえば幼い娘と一緒に庭で遊んでいる父親は、一つの目標として娘が庭にいるという目標を持っている。娘が庭の内部にいる限りなにもしないが、基準から外れると動き出し、庭に娘を連れ戻す(逆にそれが目標であるのは父親がまさにそのような行動をとるからである。目標が””意識””されている必要さえない)。ここでは何もしないことすらも基準に向かう目標指向的な活動とみなせる。同じように、呼吸というのは一見目標指向的には見えないが、酸素が欠乏すると人は必死に呼吸しようとする。安定状態にある限り、人はそれに対して特別なにかしようとはしない。

 ここには三つの重要な構成要素がある。

  1.  基準値あるいは目標
  2.  感知装置あるいは知覚
  3.  行動に関する決定を下し実行するための知覚と目標の比較装置

 進化というものが生物の形を変える際に考えるべきことは、環境などが変化し問題に直面したフィードバック制御システムの構成要素のうちどれにどのような変更を加えていくかということだ。

 

第三章 目標指向的行為主体

 地球上最初の生物は行為主体ではなかった。彼らは口を開きさえすれば食べ物が入ってくるので、逐一環境を評価し決定するシステムが必要なかったのだ。実際、現存する類似の単細胞生物は、食べ物に満ちた空間に生きている訳ではない代わりに常に動き回り、口をあけて養分を摂取し満足すれば動作を停止する。その動作はまさに機械的なもので、「向かわない」という決定を下すことができない。

 それから時は流れ、ミミズのような左右相称動物が誕生した(最初の人類の祖先)。彼には神経系が備わっている。彼らは養分や有害物質を検知し近づいたり離れたりするだけでなく、食物の摂取具合からたくさんあるかないかを感じ分けられる。しかも養分のほうへ向かう途中で有害物質に突き当たった場合、遠ざかるほうを選び直すこともある。神経系によって知覚と行動が結び付き、単細胞生物よりも複雑なシステムを持ってはいるが、そうとはいえ、内的な目標と比較しつつ行動指針を決定していると考えられるほど高度なものではない。

 四肢や歯、爪などを得た複雑な能動的身体を持つ生物が登場するのはそれよりもさらに後のことになる。カンブリア爆発が生じ、生物が溢れ、捕食活動や捕食されるのを回避するなど多様な問題に対処するためにはミミズのような形態では簡単に絶滅してしまう。そしてそうした行動な捕食者・回避者が登場することそれ自体が問題であり、さらに複雑な機能を必要とするようになる。最初の行為主体的な生物がなにかはわからないが、ミミズの次に起こったのは「目標指向的」な生物であったと思われる。たとえば、飢えを感じ、そして「目で見つけ」、「四肢で移動し」、「口で食べる」ようないくらかのステップの生物であり、各ステップごとに続行か続行でないか決定される。彼らは明らかにミミズのようなものよりも複雑であり、自己の行動を特定の目標に向けて導くし、環境を知覚した情報によって自己の行動をコントロールしている。落ち葉掃除機やエアコンなどの機械と違い、彼らは目標に対する好機と障害につねに目を光らせており、はるかに柔軟に行動を決定する。

 そうとはいえ、そのような生物も単純といえば単純である。なぜなら複数の行動の可能性を同時に評価し選択することがなく、実行/中止を決めたら次のステップに下りるだけだからだ。より複雑な行為主体はこのようなシンプルなステージの他に、複数の行動計画の策定と実行すべき計画の選択というステージがある。

 

 

第四章 意図的行為主体――太古の哺乳類

 トカゲなどは単一の層しか持たず、彼らよりさらに進化した太古の哺乳類(リスなど)は行動をプランニングする実行層を持つと前章にて書いた。だがなぜそんなことがわかるのか。解釈に議論はあるが、次の三つの実験に基づく。

  • 一つは、エサの隠し場所をいろいろ用意し褒美をいっしょに置いておくと、次第にリスはどの場所にも褒美があることを学習し選択肢をひとつひとつチェックするようになったこと。
  • 一つは、5個のレバーのうち押したら木の実・引いたら木の実の2つを用意したとき、自然に押して木の実を得ていたリスに対しレバーを押せなく細工すると今度は引き始めたこと。リスはエラーを予見してそれ以外のどの行動が成功するかを知覚したのだ。
  • 最後はラットだが、課題に挑戦して多くの褒美を得るコースと簡単に小さい褒美を得るコースを用意したところ、課題が簡単ならばラットはほぼつねに課題を解く方を選んだこと。ラットもやはり自らの失敗を予測したと考えられる。 

 シミュレーションによって意思決定し、行動する意図が形成されたあと、「実行層」は実際の行動がなるべく意図した行動から逸脱しないように監督する。トカゲたちとの違いは、たとえば単に一つの行動をやる・やらないではなくて、先を見越して行動を抑制することである。そのことは彼らが実際に行動に移す前にオプションを評価する先の実験からも理解できる。

 ところでこのような実行層の存在はトカゲたちにも有用なはずである。彼らにそれが必要とされなかったのはおそらく、哺乳類が社会集団を形成することによる複雑さの増大にあると考えられる。このような実行層の存在は、もしかすると「意識」と関係がある。なぜならシミュレーションによってリスなどの意図的行為主体はまさに自己の行動や知覚を意識しているからだ。