にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

(メモ)にんじん的物理の勉強③ 運動3法則

 時空R^3×R、軌跡c:R→R^3、力F:R^3×R→R^3を元にニュートンの運動法則が記述される。

  1.  任意のtに対してF(c(t),t)=0 ➡ c''(t)=(0,0,0)
  2.  aはFに比例する
  3.  Fに対してGが存在して G=-F

 終わり。第一法則は完全に第二法則に含まれる。ただ、砂川重信『物理入門』によると、慣性系という座標系が存在するという特別な意味合いを第一法則は持っており、この慣性系のもとで第二法則が成り立つため第一法則は必要だという。この見解を検討してみよう。

  •  まず、たしかにどんだけ座禅を組んでぴくりとも動かない修行僧も、電車に乗りながら観察したら徐々に遠ざかっていく。つまり観察者が電車に乗っていたら、修行僧をいきなり押したりしなくても運動するわけで、第一法則に反する。第一法則を成り立たせたいならば、世界のうちにある不動の一点から観察しなければいけない。とはいえ、どこに立とうが足元が動いており、「近似的に慣性系」ぐらいしかいえない。まあそれでも理想的にはそうなんだといえばいえないこともない。
  •  実をいえば、上の定式化も厳密にはおかしい。なぜならFという「力場」は通常複数ある。実際、物体の一点にかかる力がFではたったひとつだが、ものを引き裂こうとすればわかるように、正反対に力をかけることもできる。それを確認したうえで……、単一の力場において力がゼロであることはありえるが加速度がゼロとは限らないし(当たり前)、そして、ありとあらゆる力場において物体に働く力がゼロなどということはありえない。なぜなら万有引力がはたらくからである。存在している段階で力を受けている。なので控えめにいって、その物体に働くトータルとしての力がゼロになったときに加速度がゼロだと解釈しなければならない。ただそのためには物体にかかる力をすべて記述しなければならない。

 物理現象を数式に落とし込むのは実に難しい。第三法則においてFと反対の力Gが登場していることを見てみよう。あなたが誰かを押した時、まったく同じ正反対の力が相手に働くならば、物体が動くということ自体がありえなくなる。だから力はあなたに対して正反対にかかるのであって、そのおかげでその誰かにかかる力がトータルでゼロにならずに済むわけだ。だが、そのことは表現しきれていない。つまり、物体1から物体2の力なのか、物体2から物体1への力なのかが区別されない―――それで力Fというものを「物体1」から「物体2」に作用するとしてF1,2としてもよいかもしれない。だがその場合、トータルとしての力F1は一体どうなるのか。慣性系以前にそれがゼロになるということを確かめる方が難しい。

 そしてより深刻なのは、トータルとしての力がゼロになることを確かめるために、第一法則の主張とは逆に、加速度がゼロであることを確かめる羽目に陥るだろうということだ。第一法則は力がゼロなら加速度がゼロだというのに、現実は加速度のほうを先に確かめることになるのである。


 

 結論としては、第一法則はさほど記述する価値がないように思われる。慣性系の存在を主張するというが「法則」というほどのことではない。摩擦のないツルツルの床という「設定」を見て「つるつるの法則」と言わないようなもので、授業の最初に「一応、物理現象を見てるぼくたちは静止してるってことにしてね」といったからといって法則を主張したことにはならない。なにかいうとしたら慣性系ではなく「力」の存在だろう。要するに、「力がないと動きません」という当たり前だが重要な事実を指摘しているのが第一法則なのだ。そして第二法則でどういう風に働くかが語られる。

 第二法則は「強く動かせばそのぶんだけそっちに動く」ぐらいのものだ。トータルとしての力をどう計算するかという問題があるが、””実験世界””においては実験物体以外にはまったくモノが存在しないのだろう。たしかにR^3×Rには物体がなく、力の数も限定されている。

 第三法則も理想的な””実験空間””に支えられている。F1,2と名前を変え、どの物体からどの物体への力なのかを明示することを忘れなければそれでよい。