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Life, Vitalityの違いは?

 英単語で「Life」(生命)、「Vitality」(生命力)というものがあります。これらはどのように違うのでしょうか?

 『印欧語根を用いた英単語学習辞書』によれば、ふたつの語源は異なっています。

  • Lifeは、””leip-”(居座ること、くっつくこと;脂肪)
  • Vitalityは、"gᵂei-"(生存すること、生活すること、生気のあること、命)。また、「住む」という意味もあります(gweyh- 意味と語源 – 語源英和辞典

 ちなみに自動詞「live」(住む)はleip-を語源とし、他動詞inhabit(住む)は"en"(中)+"grabh-"(与える、受け取る)を語源としています。たとえば「わたしはニューヨークに住んでいます」の場合はliveですが、「イルカの集団が太平洋に住んでいます」の場合はinhabitを使います。生息しているという感じですね。

 じゃあ"gᵂei-”の「住む」はどこに行ったんだという話です。派生語を見る限り、わたしたちが「住む」という言葉であらわす内容とは異なり、どちらかといえば学問的な、からっとしたイメージのものがおおいです。顕生代とかなんとか。

 

 Lifeが「居座ること」だと言われるとなんか仮住まいみたいで申し訳ない感じがしますね。alive(生きている)はa-liveで、a:「…の上に」「…に対して」「…に関係して」「上へ」の意であり、exist(存在する、生きる)はeghs- stāで「外にー立つこと」の意です。わかったようなわからんような。

 住むほうはlive, inhabit,dwell,resideがありますが、liveとinhabitに上述のような違いがあるほかには、フォーマルさに違いがあるようです。堅苦しいわけですね。

 

 

 生命と生命力。このふたつの違いは「ちから」にあるかと思います。力とはなんでしょうか。力とはパワーですが、

    1.  人や動物にもともと備わっている、自ら動き、または他の物を動かす働き。体力。「筋肉の力」「あらん限りの力を出して戦う」

    1.  物事をするときに助けとなるもの。助力。「先輩を杖とも力とも頼む」「金の力で政界に進出する」

    1.  ききめ。効果。効力。「彼の発言には大いに力がある」「薬の力でせきが止まる」

    1.  学問・技芸などの能力。力量。実力。「国語の力が不足だ」「まだ翻訳の力が足りない」「力のある選手」

    1.  影響力。権力。「親の力で就職する」「力の政治」

    1.  腕力。暴力。「力で事を解決する」「力に訴える」

    1.  気力。迫力。「力のある文章」「力なげに答える」「力が抜ける」

    1.  努力。骨折り。「力を尽くして平和に貢献する」「医師の力で全治した」「力を惜しむ」

    1.  資力。財力。「娘を大学にやる力がない」

    1. 10 物体の静止あるいは運動している状態に変化を起こさせたり、物体に変形を生じさせたりする作用。大きさはベクトル量で表され、単位はニュートン。力の働きかたの違いによって、弾性力摩擦力などに区別される。重力電気力磁気力などは場の力とよばれ、原子核の内部の粒子が及ぼし合う核力も場の力の一つ。

    2. 力(ちから)の意味 - goo国語辞書

      つまりは「生命」と「生命という、生命のはたらき」ということになります。

  1.  現象学における「意識」を説明する際に、それが単なる気づいている状態、いわゆる意識的な状態に限られないことを強調するために「実存」や「生」という言葉が用いられることがあると、レスター・エンブリーが書いています。
  2. もう一つの言葉である「生」は、とりわけ生物学的な意味内容を避けられるのなら(これは形容詞をつけることによって可能になるかもしれない)、またそれと同じ語源をもつ形容詞があるなら、より自然な表現である。しかし、生物学的な意味合いは強力なものであるし、「生きた(vital)」という形容詞は生(life)と同じ語源を持ってはいない。
  3. 使える現象学 (ちくま学芸文庫)
  4.   しかし以降の事情は、上述の通り。同じ語源を持っていません。彼が避けようとしている生物学的な意味内容というのは、生物というものを学的な対象物として見る、そういうひとつの見方だと思われます。そうとはいえ、この記述の意味は不明瞭であり、結局なんなのかよくわからない。

  5.  彼が現象学における「意識」について述べる注意は、(1)気づいていること、体験していることだけではなく、信じること、評価することなどが含まれる、(2)それは実践的なものであるということ。意識は一つの行うことである。(3)問題なのは自分が気づいていない、非反省的な過程である。気づくことは二次的なものに過ぎない。のみっつである。
  6.  ハイデガーでいうところの根源的な「世界内存在」に近いように思われる。