第一部 漱石の文学論を読む
第一章『英文学形式論』
漱石自身はもとになった講義を「文学の概念」と名づけているが、編者は「英文学形式論」と名づけたことからもわかるように、英文学に限らず、文学を広く捉えようとしていることがわかる。文学とはなにか。この言葉の意味は漠然としていて、その範囲もはっきりしない。これを明らかにしたい。
作品をまず「形式」と「内容」に分けてみることにしよう。内容とは素材、形式とは素材をどう具体化するかである。漱石はまず「形式」を次のように分ける。
- 意味を伝える語の配列 = 語
- 音の組み合わせを伝える語の配列 = 音
- 文字の形の組み合わせを伝える語の配列 = 文字
漱石はこのような順番を用いたが、大本となるのはやはり文字である。どんな文字を用いるかである。たとえばアルファベット、漢字やかな。そして文字には音がつきものである。そうした見た目と音の組み合わせが語となり、語の並びが文となる。三種いずれにしても配列が肝心になってくる。
さらに語の配列だが、三つにわかれる。
- 「知力に訴える」ものがある。つまり語の配列を読んで読者が知的な欲求を満たせるかどうかだ。一読して意味不明な文章はそうした配列になっていない。わかるかどうかは読者によるから、文章と読者の組み合わせがこれを決める。
- 次に「複合要素による語の配列」がある。これは「雑なもの」といわれ、こうと割り切れないものである。それはいわば「文体」のことであり、語をある順序で並べた結果としての文について、語のひとつひとつを調べても決して出てはこない「なにものか」を表現している。
- 最後に「歴史的な語の配列」。配列について日本人が英語のものを理解できないのは仕方がない。また、日本人でもいろいろな時代でいろいろな書き方がある。どういう『趣味』で行くかは言語の歴史的変遷をみていないとなかなか難しく、分析するにあたっても現在だけを見て過去を見ないのはよくない。