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にんじんと読む「小説のしくみ 近代文学の「語り」と物語分析」🥕 第一章・第二章

第一章 テクストの相

 物語について論ずるにあたり、ジュネットの三分法「物語内容story/物語言説narrative/物語行為narating」によって物語を三相に分けてみる。内容・語る工夫・語る行為の三相である。たいていの場合、物語を知ってるというのは物語内容を知っているということであり、語られる出来事である。これがこうしてこうなったという筋を見出せなければそもそも物語として成り立っていない。

ある物語の物語内容とは、ある状況に置かれた作中人物が、ある行為にかかわりを持ったり、ある出来事に出会うことで新たな状況のなかに置かれる。その経験を読者が時間的順序にしたがって再構成することにより、読書経験の記憶のなかに立ち現れてくるものとしてあるだろう。作中人物とは物語中にあらわれてさまざまな経験をする者を言う。必ずしも人間であるとは限らない。作中人物による経験は、状態もしくは状況についての経験をいう場合と、出来事の経験をいう場合がある。出来事においては状態(状況)に何らかの変化が生ずる。

小説のしくみ: 近代文学の「語り」と物語分析

 一方、物語言説というのは語る工夫のことであるから、色々ある。『語り方の工夫として表現の次元において捉えられるものには』、語りの枠組、語りの視点、発話の処理、時間の処理の四つがある。

 最後に物語行為とは、語り手の自意識の強さみたいなもので、語ってることをどれだけ自覚しているか、それが表現のうちにどれぐらい現れているかというものである。まったく姿を現さない場合があるが、たいていの場合、ちょいちょい姿を見せるものである。たとえば三人称視点で描いているとしても「きれいな女性が」などと書いて、だれもその人物をきれいだともなんとも言っていないのに一体だれがきれいだと言ったのかなど問題になりうる。最もあからさまなのは、「私は思うのだが」とかガッツリ出てくるパターンや、「この物語は~」と言い出すパターンである。

 

 

第二章 語り手と語りの場

 語り手が①「語り手」として語りのなかにあらわれるか、②語り手が作中人物となるか。この基準で分けると、〇と✖の組み合わせで四類型できる。語り手が個性を発揮するかどうか、物語の筋において中心人物かどうかで下位区分が作れる。

 物語世界語りの場というものを考えてみよう。

 物語世界は物語の世界。語りの場とは語りが行われる場のことである。語りの場とは、『あくまでも小説のなかの語り手が、語りにおいて設定する場のことである。小説が発表された時代や場所と、一旦は切りはなされる場』である。読者もそこに立ち会うことを求められている。つまり語りの場とは読み手・聞き手とされる人物と語り手のいる場である。

 ふつうの小説だと、具体的な聞き手を見出すことは難しい。もはや聞き手は「読者」以外に見出せない場合のほうが多いだろう。そこにおける語りの場は、語り手と読者の二人が向き合う空間である。この語りの場は、物語世界の外部にある。語り手は物語世界の外部にいる。その一方で、語り手は物語世界に登場することもある。

 

 物語世界外の語り手 でありながら 物語世界に属する語り手

 

 であることができる。前者は「語りの場」についての言明であり、後者は「物語世界」についての言明である。

 物語世界内の語り手というのもありうる。「私」が、たとえば「妹」に物語を語って聞かせるとき、語り手と聞き手の場は物語世界となる。このときもし「私」が自分のクラスの文化祭について語るなら、その物語には語り手=「私」が登場するだろう。より複雑にするなら、文化祭のなかで友人が私にある物語を語って聞かせるなら、もうひとつ語りの場2が生まれることになる。いわば物語が埋め込まれている。

 この視点を使えば先ほどの四類型をこう整理できる。

  1.  物語世界外で語る物語世界に属さない語り手
  2.  物語世界外で語る物語世界に属する語り手
  3.  物語世界内で物語世界に属さない語り手
  4.  物語世界内で語る物語世界に属する語り手