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にんじんと読む「心の進化を解明する(ダニエル・C・デネット)」🥕 第一部

第一部 私たちの世界をさかさまにする

心はいかにして存在するに至ったのか? そして、心がこんな問いを発し、それに答えるということはいかにして可能であるのか? 手短な答えを言えば、進化の産物としての心が数々の思考道具を創り出し、やがて心は、それら思考道具を用いて、心がいかに進化したのかを知りうるようになり、さらに心は、心が思考道具を用いて、心が何ものであるかを知りうるようになったという、その仕組みをも知るに至ったということである。

心の進化を解明する ―バクテリアからバッハへ―

 生命はこの惑星で進化し続けて来た。まず原核生物。彼らは自己維持とエネルギー獲得と自己複製の基礎的な機構を最適化するために二十億年ほどを費やした。そして今度は、別々の系列で進化してきた独自の有能性と習性を持った二つの原核生物が衝突することによって驚くべきことが起こった。それはこれまで数多く起きて来た衝突とは、レベルが違う。それまではどちらかがどちらかを「食べて」いたのだが、この衝突においては、お互いを「生かす」ことでより適応的な存在となったのである。

 進化というものは、ほぼ絶対にないようなことに依存する過程である。たとえばDNAの突然変異など、十億回の複製で一回生じる程度のものなのだ。しかも、突然変異の多くは適応に害をもたらすか、なんのメリットもない場合がほとんどで、それが優れていることなど滅多にない。しかし進化はいつもそれに賭けてきた。

 同盟を結んだ二人組は、自己複製にあたっても、二人組として出てくるようになった。これが「共生」という進化の歴史の中でも生産的なエピソードであり、真核生物が誕生する。真核生物は原核生物よりも複雑で、有能である。そしてこの真核生物は、現在の多細胞生物の構成要素となっている。大まかにいえば、裸眼で見ることのできるような大きな生物はすべて、彼らの子孫なのだ(真核生物革命)。

 五億年以上前、カンブリア爆発によって多細胞生物門の数が急増。6600万年前の恐竜を絶滅させた「白亜紀ー古第三紀絶滅」などとんでもない変化が数多く地球には起きてきたが、「マクレディ爆発」ほどの生物学的変化はない。マクレディ爆発は全脊椎動物の総量のうち、人間とその家畜が占める比率の爆発である。それは一万年ほど前の農業の黎明期において起きた。その頃、わずか0.1%だったものが、現在98%に達しており、その比率は伸び続けている。私たちは生命を滅ぼすことが簡単にできる。

 「知性」→「技術」→「人口」という順序が適当であるように思われるが、進化というものは絡まり合ったものであり、実は「知性」というものは、技術と人口の多さにも依存しているのである。

 

すべてのものが現在のあり方をしているのは、それがそのようなあり方を獲得したからである(ダーシー・トムソン)

 

 最初期の生命形態でさえ、それは既に複雑で秀逸きわまる自己維持システムであった―――と書くと、ちょっと妙な気がするかもしれない。

 問われているのは非生命から生命への道筋、つまり、

可能な出来事がいかに配列されれば、奇跡なしで、漸進的に、必要な諸部分が問題の作業(自己複製)を達成するための、正しい配置へと集められるに至るのか?

心の進化を解明する ―バクテリアからバッハへ―

  である。私たちが選ぶ道はリバース・エンジニアリングしかない。つまり、「生命ある自己複製的な事物」の最小の条件を突き止め、その時にある素材の在庫(〈前生物化学供給源諸分子〉と呼ばれる)からそこへ至るための出来事を並べていくのである。

 

 

 

ダーウィンがもたらした逆転

 

 ダーウィンのおかげで、神様が生物をボトンと突然産み落としたというような話を信じなくてもよくなった。私たちはなにかの起源を説明するとき、どうしてもそのような絶対者を想定して、その絶対者がデザインしたのだと言いたくなる。だがそんなものを用意しなくても、私たちの知っている生物たちに出会うことができるのだ。これから無生命的な世界から出発して、順々に辿っていこう。しかしその前に、「リバースエンジニアリング」というものについて少し考えておきたい。

 私たちは今いる生物を見て、それがどういう風な道筋をたどって来たかを想像する。「なぜここにこんなものがついているんだろう?」と。しかしこのナゼというものには、いかにして生じたかという過程を記述することを求めるものと、なんのために生じたのかの理由(目的)の説明を求めるものと、二つの見方がある。前者については科学として広く受け入れられているが、後者についてはそうとはいえない。というのも、もし神様のお導きでない限り、そんなものが生じてきたことにはなんの理由もないからだ。

 

「目はなんのためについてるの?」

「ものを見るためだよ」

 

 このような物言いは、手軽な比喩だとみなされ、かつ、みなされるべきだと思われている。だが私たちには、なぜそれがそのように生じ来たったのかについての理由の説明について、その説明が適切であると言い得る十分な根拠を有している。それは何か? それが自然選択なのだ。

 変異というものは生存競争について中立的である場合もある。そうしたときに変異体のグループとそうでないグループを比較して、自己複製がうまくやったほうを取り上げて「なぜ」と問うても答えなど無い。ただ運が良かっただけである。しかしこの変異が生存についてあからさまに優位に働いたとき、そこに理由が生じる。そうしてその変異は年月とともに降り積もっていく。そうして私たちは生物学的研究において問いかける。「なんのためにニワトリのトサカはこんな風になっているんだろう?」私たちはこれに答えることが出来る。

 リバースエンジニアリングを行ううえで注意することは二つ。

 一つ目。リバースエンジニアリングは適応主義的仮定に依存している。つまりその形質がなんらかの利点があったと仮定せざるを得ない。二つ目。シロアリが蟻塚の建築において、なぜそのように建築するかの理由など知っている必要はない。これを〈浮動理由〉と呼ぶ。

 

 ガウディの建築にはそのように建てた理由が存在する。しかし、蟻塚の建築がどれほど優れていようが、自然選択のおかげで、私たちはガウディ(または神様)のようなデザイナーを一切必要とすることはない。そうだというのに、私たちは手際よく生きている生物たちを見て、そこになんらかの意味での理解力を求めようとする。言い換えれば、うまくやっているならそこには何か秘密があるはずだと考える。生物の場合、それは神様がそのように導いた、デザインした、という秘密である。

 だがチューリングが明らかにしたように、どれだけ複雑なことを行なっているコンピューターであろうがそのコンピューターが算術をすべて理解している必要などまったくない。いくつかの規則と条件分岐だけで、彼らは魔法のようにすべてを処理してしまう。これによって一つの誤解が解けるだろう。つまり、「とんでもない複雑さも単純なブロックから実現できる」ということだ。

 ではその単純なブロックとやらを生命に組み込むのに神様のお力がいるのではないか。いや、要らないのである。生物を導いてきたのは神ではなく、自然選択である。なら自然選択が神なのか。そうではない。自然選択は、「何も考えていない」。たまたまそういうことになり、たまたまうまくいった。ただそれだけだ。

 

 生物がその有能性を発揮するのにデザイナーの知性など必要ではない。これを〈理解力なき有能性〉と呼ぼう。前生命的な世界においては、異質なものが衝突し一定期間安定して存続するうちに、さらなる衝突が起きる。これは滅多に起こることではないし、たいていの場合、衝突してすぐに離れてしまう。少しでも安定した形を保つことができるようにぶつかるのは、滅多にないことなのだ。

※ 恐らく、まずは最も単純な「水素」から、徐々に””材料””を増やしていったのだと思われる。化学進化とは - コトバンク まずは原核生物から。そして原核生物原核生物が衝突して、単細胞生物。そしてそれが集まり多細胞生物へ。

 モデル化してみよう。

  1.  まず登場してきたのは「ダーウィン的生物」である。彼らは生まれた時から消滅するときまで、ずっとそのままである。彼らは次世代への変異だけに賭けている。そして変異がうまくいった者だけが、次のラウンドでさらに繫栄する。
  2.  次に登場してきたのは「スキナー的生物」である。彼らは固定された性向に加えて、なにか報酬や嫌悪的な刺激があれば行動を強化する。オペラント条件付けによって自らを改善していくやり方は、ずっと同じことをしているよりも生き残りやすいが、学習する以前に破滅してしまうことも十分ありうるというリスクを抱えている。
  3.  次に登場してきたのは「ポパー的生物」である。彼らは頭の中でちょっと試してみることができる。よほど自己反省的な子どもでない限り、幼い頃は予見に従って利益獲得行為に単に赴くだけで、自分がそういうことをしていると気づくのはあとのことである。
  4.  最後に現われるのが「グレゴリー的生物」であり、彼らは抽象的だったり具体的だったりする思考のための道具を豊富に備えている。算術、民主主義、顕微鏡、地図、コンピュータなどなど。鳥の世界にはこんなものはない。人類のみがこのジャンルに属する。

 ポパー的生物に至るまで、別に「理解力」つまり自分がどうしてそんなことをしているかということを知っている必要はない。だがグレゴリー的生物は?

 

(第一部終わり)