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にんじんと読む「オートポイエーシス論入門(山下和也)」🥕 第一章

産出されたものがあれば、必ずそれを産出した働きがある

オートポイエーシス論入門

第一章 定義

オートポイエーシス・システムとは、産出物による作動基礎づけ関係によって連鎖する産出プロセスのネットワーク状の自己完結的な閉域である。閉域形成に参与する産出物を構成素と呼ぶ。(p18)

オートポエーシスとは特殊な作動原理であり、この原理に従うシステムを「オートポイエーシス・システム(あるいはオートポイエティック・システム)」と呼ぶのである。(p8)

オートポイエーシス論入門

  よくはわからないがともかく何かが産出されている様子を考える。産出とは、何かを変形して何かにすること一般である。そうしてその産出物のいくつかによって次の産出プロセスが作動し、また何かが産出されるとする。ここには「産出の作動」と、「産出物による次の産出プロセスの作動基礎づけ」という二つのことが同時に起きている。

 このようなプロセスを何度も繰り返すことができ、複数の産出物が次の複数の産出プロセスを作動させることを認めれば、この全体は複雑なネットワークを成す。但し、このネットワークに属する各産出プロセスは同時に存在するとは限らない。何度もその産出プロセスを繰り返すとしても、その産出プロセスは作動するごとに消えていく。

 このネットワークが「閉じている」とは、そのネットワーク上のすべての産出プロセスが、そのネットワーク上の何らかの産出プロセスの産出物に基礎づけられていることである*1*2*3

 この閉域は単独で作動できるため、ある種「独立」している。これを、オートポイエーシス・システムというのである。そうしてこのとき、閉域を作るために一役買っている産出物たちを構成素という名前で呼ぶことにする。産出物がすべて構成素であるわけではなく、閉域形成に対しては「ムダ」なものも作られることがあるだろう。

  •  オートポイエーシスには「自己言及」という誤解がつきまとっている。この誤解のおかげで矛盾だとか言われるようになってしまった。だが、自己言及ではまったくない。オートポイエーシス・システムとは呼べない、単なる産出プロセスの連鎖、つまり閉域が完成していないときは「自分で自分を産出する」と呼ぶような「自分」など当然まだ存在していない。また、閉域が形成された理由は当然その閉域のためではない。《オートポイエーシスというのは、神秘的なもの、不思議なものではまったくないことが、わかるであろう》(p26)。

 

 

 

 

 

*1:本には「ネットワーク上でその作動をそのネットワークに属するどれかの産出プロセスの産出物によって基礎づけられていない産出プロセスが無くなったとき」と書いてある。恐ろしくわかりづらい。ネットワークの産出プロセスの作動自体が、外部の産出物によらないことを言っている、と思われる。

*2:具体例として挙げられているのは細胞システムである。《これは細胞高分子を構成素として産出するプロセスのネットワーク状閉域である》と言われる。それは化学反応のネットワークである。オートポイエーシス・システムはこの化学反応の連鎖のことであり、細胞自体とは区別される。細胞を構成する分子は入れ替わっていくが、システムとしての同型性は維持される。

*3:このシステムには、外部から物質を取り込む入口がある。そうでなければ細胞など維持できない。たとえばカレーには産出プロセスがあるが、カレーを作るプロセスは自己のネットワークの外部になっている。「産出物」「産出プロセス」という二つで見れば、オートポイエーシステムはあくまでプロセスに興味があるからだろう、と考えられる。