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にんじんと読む「貧しい人を助ける理由」🥕 途中まで

 四つの基礎的人間的ニーズは、飲み水・食料・住居・基本的な保健医療サービスである。およそ30億人がいずれかひとつが欠けた状態にあり、毎日5秒に1人の割合で死ななくていい子どもが死んでいく。祖父母世代ではこうした状況を「十分な資源がないからだ」と信じていたが、モノに溢れた現代ではもはやこの考えは維持できない。世界全体の収入の1%を貧しい地域に振り向ければ1日1.9米ドルで生活する人の数をゼロにできるのである。

 私たちは貧しい国の人々を助けるべきなのだろうか? ———この問いに対して、この本では、それが道徳的に正しいことであるだけでなく、それが自己利益の追求に繋がると主張する。

 

 困っている人を助けなければならない理由とされるものは大きく分けて四つある。

  •  第一に、道徳的義務である。これが一番わかりやすい。
  •  第二に、道義的責任である。要するに、貧しい国が貧しいのは金持ちが金持ちだからで、その構造をとどめている金持ち国に責任があるのだ。
  •  第三に、共通利益である。要するに、排斥された人たちが社会を脅かすような極端な行動をとらないようにし、助けることで経済的機会を生み出し、公衆衛生上の問題をなくすために、助けるのである。
  •  第四に、短期的な政治的・商業的利益である。弱い国に援助し、自分の仲間にして敵国を出し抜くのだ。

 一方で、援助などしないほうがいいという意見もある。

  •  援助しても指導者や上層部がカスだからムダ金になってしまう。
  •  援助は援助予算で食っている官僚やコンサルの懐に入る。

 

 しかしそもそも「貧しい」とはなんなのか。この貧困ラインの引き方にはさまざまある。金持ち国の人々が想像する貧困は、まさに今とんでもない状況にさらされ命からがら逃げて来たような人達だが、こういう緊急すぎる内容ばかり扱っていては慢性的な貧困が見過ごされてしまう。彼らは自然災害や紛争の被害者であるとは限らないのだ。彼らの中には一日12時間以上もぶっ通しで毎日働いてようやく食えるか、食えないかのレベルで生きている人もいる。

 もし貧困を「所得の不足」だとするなら、あなたは経済成長こそが解決策だと考え市場を中心として取り組むことになるだろう。あるいは健康、教育、水、衛生などを重視するなら、公共的な提供に取り組むことになる。あるいは人権の軽視が問題だとするなら、権力の再分配など抜本的な改革に取り組むことになる。