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にんじんと読む「仏教の真実」🥕

 仏教は誤解されているぞ、というのが主な内容。

 以下ではにんじんが注目した点のみまとめた。

 

「仏教の真実」

 仏教は、神を信じない。『仏教はもともと「ブッダの教えを信奉する人びと」という意味でサンクスリット語(古代インドの言語)でバウッダと呼ばれ』たのだが、ブッダへの神格化が進み、自分がブッダになることよりもブッダからご利益を預かろうという現代の姿へと変わっていった。神(GOD)の語源は、「呼び掛けられるもの」であり、『正体はなにかわからないが、人が呼び掛けると応えてくれるものと考えられていた』。

 仏教は、ブッダになるためにはどうすればよいかを教える。だが神のいる宗教は神になる方法は説いていない。ブッダはわれわれと同じく人間である。ただ、真理に目覚めた人である。「仏」とはブッダの訳語であり、玄奘三蔵が与えたものであるが、日本で見られるような死人の意味はない。死んだだけで真理に目覚めるはずはない。

 仏教が説く愛は、キリスト教の愛とは異なる。キリスト教における愛は預言者によって神が示した教えであり、自己中心的なエロース(愛)ではなく他者への純粋なアガペー(愛)が説かれる。その愛の実現はイエスの死であるとされる。彼は人類のあらゆる苦しみを自身の身に受けたのである。『この純粋の愛は一方的に他者に向けられ、それは己の犠牲のかたちを取っているが、じつはかえって己の安らぎにたどりつくことができる』と教えているのだ。一方、仏教において、世間的な愛は妄執から起こる心のはたらきであり、排斥されるべきものである。愛は迷わせ、執着させる。愛は煩悩の原因であり、これを斥けるのは「慈悲」である。『他宗教がいう愛の意味に代わることばは仏教では慈悲である』。慈悲の具体化のために説かれたのは四摂法(ししょうぼう)で、布施=与えること・愛語=やさしいことばで語ること・利行=他のために尽くすこと・同事=協力することである。

慈悲の具現化は物であれ、知識であれ、人間だけでなく、あらゆる動植物が求めるものを与えること、相手の思いをくみ取ってやさしく語りかけること、見返りを求めず、ひたすら他のために尽くすこと、そして他を差別することなく、わがことのように相手の力となることだと釈迦は教えたのである。慈悲の行いは相手が何であれ差別なく力になり、相手の身になる行いである。ゴッドの純粋の愛(アガペー)はゴッドを信じる者だけにおよぼされるが、ブッダへの慈悲は関わりのないものにも平等におよぼされるので、これを無縁(無差別)の慈悲という。

 仏教は、あたりまえのこという。「悪いことをしない、善いことをする」。注意すべきは、ここに命令形の含まれていないことである。警察がいるから悪いことをしないのではなく、個人の行為はそれぞれが律しなければならない。悪事をしないとは悪事をしない習慣をもつことである。

 仏教の修行は三十七菩提分法としてまとめられ、

  • 四念処 身心を静かに観察する四つの方法
  • 四正勤 日頃、努力して行うべき徳目
  • 四如意足 神通力を得る方法
  • 五力と五根 さとりに達するために五つの基礎と能力
  • 七覚支 心の状態を観察する注意すべき方法
  • 八正道 苦しみをなくし、真理を見る方法

 とされる。もちろん、神通力とは超人的能力の意味ではない。ものの本質を観察する力という意味である。