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にんじんの書棚「セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想」

 この本はいわゆる「ピュロン主義」=古代懐疑主義について書いた本で、彼らの哲学やそれに基づく幸福観にまで踏み込みます。あらゆる判断を保留するこの立場はどう自分たちの立場を主張し、どのようなことを幸福を考え、どう物事を探究するのか。偉そうな言い方ですが、きれいにまとまってるなあ、と感じました。

 にんじんブログでは過去二回、『にんじんと読む』シリーズをやっております。以下、その要約です。

 

 

一周目はこちらへどうぞ「にんじんと読む「セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想(田中龍山)」🥕 - にんじんブログ」。

 

序章 ヒストリコース・アパンゲレイン(記録として報告する)という立場

懐疑主義の基本テーゼ】

懐疑主義とは、いかなる仕方においてであれ、現れるものや思惟されるものを対置し得る能力であり、これによってわれわれは、対立する諸々の事物と諸々の言論の等しい力の対立(イソステネイア)ゆえに、まずは判断保留(エポケー)にいたり、ついで動揺のない心境(アタラクシアにいたるのである。

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

  この古代懐疑主義の内実を明らかにすることが本書の目的である。

 まず注目してほしいのは「判断保留」という言葉である。古代懐疑主義はこの「判断保留」にいたるためにあるのだが、これは字義通り、「判断しない」という意味をもつ。しかしこれを確認しただけでも、基本テーゼを正しいものと判断しているではないかという批判が起こるのは間違いない。

ただし、これから語る事柄のどれについても、われわれはそれが完全にわれわれの語るとおりであるとか確信するわけではなく、むしろ、各論点について、現在われわれに現われるままに記録として報告する(ヒストリコース アパンゲレイン)だけであることを、あらかじめ注意しておこう

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

  語るとおりであると「確信する」わけではなく、「記録として報告する」と注意している。だからまずこの「ヒストリコース・アパンゲレイン」について論じることから始めよう。

アパンゲレイン(報告する)について

 彼が「ヒストリコース・アパンゲレイン」という単語を用いるのはここだけだが、「アパンゲレイン」と区切ってみれば、それは何度か用いられている。そして彼は「アパンゲレイン(報告する)」という表現を常に「ディアベバイウースタイ(確信する)」という動詞と対比して使っているのである。

 「確信する」とは、『自分が何かを語る場合に、外部に存在するものについての自然本性的なあり方として、真なるものとして、また自らの見解として主張する』(セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答)を意味する。このような語り方をするのは独断論者(ドグマティスト)流であり、そしてドグマティストこそ古代懐疑主義者たちの批判の対象なのである。

 では、古代懐疑主義者はどのように語るか。それが「報告する」である。「確信する」と「報告する」は語られたことに対する態度の違いを表現している。「報告する」とは、『自分が蒙っている情態を、ドグマティストのように、それを外部に存在するものの自然本性的なあり方として語るのでもなく、それに真偽の判断を加えることもなく、現われるがままに語る』(セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答)という意味である。懐疑主義者は自分の言明さえ絶対的に真であるとは確信していない。

アパンゲレインの主体は、自らの主観的な判断を下さないという点で、匿名的でさえある。このことをわたしは、アパンゲレインの「匿名性」と呼びたい。

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

ヒストリコース(記録として)について

 ヒストリコースという語は先の一か所しか出てこない。ただしその名詞形であるヒストリア(記録)なら出てくる。そしてこれもまた、ドグマティストとの態度の違いを説明している。

  ドグマティストの主張する「ヒストリア」の特徴は普遍性である。このあたりの記述はなぜか不明瞭なのでにんじんなりに補足しておくと、たとえば「すべてのカラスは黒い」というヒストリア(記録)があるとしよう。当然のように、これの対象となる個別的なカラスについてのヒストリア(記録)は限りがなく定まらない。普遍的なことを記述しようとするのはそもそも不可能である。

 すると、古代懐疑主義者のヒストリア(記録)は「個別性」をもつといえるだろう。それは「今ここでこのわたしに」という点の強調である。彼等は自分たちの語ることを絶対的なものだとは言わない。

ヒストリコース・アパンゲレイン(記録として報告する)について

 以上をまとめれば、ヒストリコース・アパンゲレインとは懐疑主義の立場を「匿名性」と「個別性」の二つから説明しようとしたものだと考えられる。「個別性」は「普遍性」と対比されるが、「匿名性」はいわば「私性」と対比されたものだといえるだろう。つまり独断というものは私的に、現われに勝手に判断を加えて作り出されたものだというもので、懐疑主義の「匿名性」はこの反対にある。

懐疑主義者は、ヒストリコースに、すなわちいまここでこのわたしに現われている事柄を、それに(真偽というレベルで)わたしの判断を加えることなく語る、すなわちアパンゲレインするのである。

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

  セクストス・エンペイリコスという人は、懐疑主義についての書物の内容に踏み込む前にこのようなことを説明しておかなければならなかった。なぜなら著作を残すということ自体、それが独断となってしまう可能性があるからである。

 

純粋仏教―セクストスとナーガールジュナとウィトゲンシュタインの狭間で考える

懐疑主義 (学術選書)

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)

第一部 セクストスの懐疑主義の位置

第一章 ピュロンピュロン主義

 古代懐疑主義ピュロン主義と呼ばれる。まずこの時点で問題がないだろうか。

  1.  ピュロンがいかなる心の状態にあったか、われわれは知ることができない
  2.  ピュロンが最初に懐疑主義を発見したわけでもない
  3.  ピュロンはいかなるドグマも持っていなかったはず

 ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』には上記の三つが問題点として挙げられている(ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1))。懐疑主義の出所(2)についてはさしあたってどうでもよい。問題なのは(1)(3)である。『自らの立場を特定の人物の名で呼ぶこと自体が、自らの立場の一貫性を否定』(セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答)することになっているのである。

 セクストス自身はピュロン主義という呼称を『ピュロンが彼以前のだれよりも実質的に、かつ顕著に懐疑に専心したとわれわれに現われているところに由来している』と述べている。Barnesによれば、「現れている」と述べることで三つの批判を回避しているという説を提示している。つまり、ピュロンの当時の状態など知らないが(1)、発見者でなかろうがだれよりも懐疑に専心しており(2)、そのような態度こそが私たちに古代懐疑主義ピュロン主義だと呼ばせるのだ(3)。*1

 このことはセクストスの「学派」についての考え方にも見ることができる。

懐疑主義者が学派を形成しているかという問いに対しても、われわれは同様の態度をとる。すなわち、もしも人が「学派」とは、相互的にも、また諸々の現われに対しても一定の随伴関係を持つ多数のドグマへの傾倒であり、その「ドグマ」とは不明白な事物の承認であると言うのであれば、懐疑主義者は学派を形成していないと、われわれは言うであろう。他方もしも人が、「学派」とは、現われに依拠しつつ、ある種の言論に従いゆく生き方であり、その言論とは、正しく生きているように思われることがいかにして可能であるかを示し、また判断保留ができるところにまで立ちいたる言論である、と言うなら、懐疑主義者は学派を形成していると、われわれは言う PH1.16-17

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

  セクストスは古代懐疑主義ピュロンの思想として確信しているわけではない。

 

第二章 ピュロン主義とアカデメイア

 そもそも古代懐疑主義という立場をピュロンの名において語らなければならなかったのは、アカデメイア派との区別のためである。古代懐疑主義ピュロンの弟子ティモンのあとほぼ途絶えた状態であった。それを復活させようとしたのがアイネシデモスであり、彼は自らが所属していたアカデメイア派とどのように違うかを説明しなければならなかったのだ。

 アカデメイア派はプラトンが創設した学園であり、アルケシラオス学頭(BC316-BC241)からカルネアデス学頭(BC214-BC129)の時代まで懐疑主義的な立場をとっていたものの、アイネシデモスのいた前一世紀頃になるとドグマ的な傾向を強めていた。彼はアカデメイア派を離脱し、懐疑主義の再生をもくろんだ。だが人目には、「アカデメイア派」と「ピュロン主義」は同じく判断保留主義者に見える。

  1.  何ものも把握不可能である
  2.  判断を保留しなければならない

 このふたつを共有している。たしかに共有しているのであるが、これらの主張に対する態度によってふたつは区別されるのである。アカデメイア派の人々は何ものも把握不可能を「確信する」のであるが、ピュロン主義者はそうではない―――把握されることはあるかもしれない、と考える。

 すると当然、判断保留の態度も変わって来る。把握不可能であるという真理を発見したアカデメイア派はもはや探求をやめてしまう。しかし、ピュロン主義者は真理の探究を続けることができる。『「発見した」と想定している者こそ、探求から閉ざされることになる』(セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答)。

  1.  何ものも把握不可能である。しかし、把握されることはあるかもしれない(判断保留)
  2.  判断を保留しなければならない ーーー 探求を継続する

 だが、古代懐疑主義者の「判断保留」と「探求の継続」は両立しないように思われる。この点についてはまたあとで見よう。

 

第二部 古代懐疑主義の構成原理

第三章 古代懐疑主義における自己論駁の可能性(ペリトロペー批判への回答)

懐疑主義者の主張は自己論駁に陥らざるを得ない」

 ここでは、懐疑主義者に対する上の批判を検討する。判断保留に関する彼らの言明が彼ら自身に適用されたとき、懐疑主義の困難が見出される。懐疑主義者はある主張pに対して、~pという主張を対置させることをまず始める。そしてそれらの等しい力の対立、こちらこそ正しいのだとどちらを優先させることもできない対立を通して、判断保留にいたる。:

  • Xは、条件SにおいてFとして現われ、
  • Xは、条件S*においてF*として現れる。
  • このとき、FとF*は両立不可能で、SとS*は異なる条件である。
  • われわれはxが異なる現われ方をするのを見る。そして条件SとS*はどちらを優先すべきともいえないはずである。すなわち、「xが実際はFだ」などと肯定することもできないし、否定することもできない。

 懐疑主義者の論法をジュリア・アナスは上のようにまとめている(古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫))。だが「懐疑主義者の主張」=P自体はどうなのか。これもまた判断保留の対象とされるのではないか? 彼らはほかならぬ自分たちの主張を、自分たちの主張によって攻撃し、亡きものにしているのではないか?

 これに対するセクストスの回答は「下剤の比喩」によって行われた。すなわち、懐疑主義者の主張は「下剤」であり、下剤は有害体液を体外に排出し、それを終えれば自らも体外に排出される。だから懐疑主義者の主張は自己論駁的でありうるのだ、と。だがこの回答は一貫性・誠実さの欠如として新たな批判が向けられる。

 

 まず言っておけば、懐疑主義者が「主張Pも、その否定~Pもどっちもそう。どちらかを優先させる理由はないし、判断しかねる」と述べるとき、それは「Pかつ~P」だと主張しているわけではない。その発言は単なる賛同、パトスの報告にすぎない。そうであるがゆえに、『事柄の真偽』には関与しない。言ってみれば、「幽霊はいる。なぜなら~」という意見に対し「あ~たしかに」と言い、「幽霊はいない。なぜなら~」という意見に対し「それもそうだな」と言うようなものだ。もしこのような人に対して「Pかつ~Pはありえないんだからそんなこと言えるわけないでしょう」と言っても、発言(報告)は自由である。懐疑主義者はこのうえで、「どちらとも言えませんね」と判断保留にいたるのである。

 このことはいわゆる「懐疑主義者の主張」に対しても同じことで、彼らは「懐疑主義者の主張もわかる。でもそうじゃないというのもわかる。う~ん、わからない」と言って、懐疑主義的立場を維持することができる。彼らは自分たちの主張に対しても懐疑主義を用いつつ、懐疑主義を維持できるため、たしかに自己論駁的ではありながらも「絶対的に」そうであるとはいえない。たとえば「真理は存在しない」といった主張のように絶対的に自己論駁的であるとはいえないのである。

 懐疑主義者は、自己論駁性を認める。しかしそれは絶対的なものではなく、戦略的・意図的な自己論駁である。彼等はあらゆる主張Pに対して、~Pを対置させ、判断保留へと導く。このとき彼らは当然Pも、また~Pも「もっともらしい」と感じている必要はまったくない。ただ単に対立させ、「無理そうだよね」と言う。

 

 

 しかし今度は主張以前のことが問題とされる。いずれにしても彼らは自らを放棄するような言明を行う「不誠実」な連中なのだ。懐疑主義者は懐疑主義者の主張に真剣ではなく、守ろうともしない、とされるのである。とはいえ、戦略上自らを捨て去ることは自らの立場に沿った行動なのだから、それほど一貫性に欠けているとはあまり感じない。

 懐疑主義者が攻撃しているのは、「知識の可能性」だと思われている。しかし彼らがそれ以上に重要としているのは「知識の望ましさ」なのだということを押さえておかなければならない。

すなわち「知識の可能性と信念の合理性を疑うことによって、ピュロン主義者の突進は、知識と徳や幸福とのソクラテス的関連を揺さぶるためであった」のである。

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

  知識は望ましいものだと考えられているが、それは単に動揺を引き起こすだけであって決して望ましいものではない。彼らは判断保留といういわゆる無知の状態が無動揺(アタラクシア)をもたらすものと見ている。しかしその「もたらし」はあくまで偶然的なものであり、懐疑主義的方法によって必ず訪れるようなものではない。

 この偶然性それ以上のことを望むことこそ、「知識の望ましさ」という信念にとらわれなのだ。

 

 

懐疑主義 (学術選書)

懐疑主義 (学術選書)

 

 

第四章 古代懐疑主義における哲学と生活(アプクラシア批判への回答)

「あらゆることについて判断を保留するものは行為することができない」

 ここでは上の批判を検討する。この批判も昔ながらのものであり、判断保留の生活は実質的に不可能だとするものである。

 問題になってくるのは、古代懐疑主義者の懐疑の対象である。学的信念だけでなく、日常的な信念をも疑うのだろうか。懐疑主義者は「そのように現れること」までは疑わず、哲学的な信念を攻撃するが、実生活はそのままにしておくのか。結論から言えば、彼らは実生活までは攻撃しない。だから行為はできる

 彼らの「懐疑」と「実生活」との関係を示しておこう。

  1.  われわれは日常生活において、いろいろの信念を持っている。たとえば「水を熱するとお湯になる」のも一つの信念である。
  2.  それがドグマ主義的哲学によって「自然本性的に! 水を熱するとお湯になる」と言いたてるようになる。たとえば、水を熱するとお湯にならないと「おかしい」と言い始めるようなものだろうか。こうなった人々に対して懐疑主義者は懐疑を並べ立てはじめ、判断保留に導く。
  3.  そのことによってその人はふたたび「水は熱するとお湯になる」という単なる信念に戻る。

 言うなれば、懐疑は「絶対そうなるの!」というとらわれをなくす。おかしな例だが、たとえば便座のふたは持ち上げれば当然ひらくはずだろう。しかし接着剤でがっちり固定されていたりして開かない場合もありうる。それに対して「いや、ひらくはずだ。ふたは持ち上げればひらくので」と言い続ける人がいたとしよう。こう考えると、病的なところが想像つくかもしれない。

 あるいはこうも言える。たとえばふたつの歯車がかみ合っているとする。一方をまわせば一方も回る、という信念をわれわれは持っている。しかしここで、「絶対に回る」と考えるのは哲学的病気である。なぜなら噛み合っている歯の部分がぼろぼろで、少し押した瞬間にとれてしまうかもしれないのだから。この例の場合は単純だが、現実には歯車は相当多く、その絡み合いも複雑である。

「ここがこう回って、これがこう、こうなって、こうなって、……だから『絶対にこれが回るんだよ』」

 懐疑主義者の哲学は無動揺の幸福な生活を目指すものであるけれども(『アタラクシア』という概念についてはあとで詳しく見る)、その哲学によって生きて行こうとしていたわけではない。彼らはドグマの排出するのと同時にそれを捨て去る。わたしたちは「その知をもつことによって幸福な生活を得る」ようなことを求め続けるが、そのたびに、懐疑主義者は排出する。そういった知識は終わりのない反目を生み出し、動揺のタネにしかならないから。

 

古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退 (学術文庫)
 

 

第五章 古代懐疑主義における行為の問題(不道徳批判への回答)

「立派なことも醜いことも、正しいことも不正なことも、真実のところは何もない、と考える者は、いかなる悪いことでも敢えてやってみようとするのではないか」

 ここでは上の批判について検討する。だがもちろん、懐疑主義者だって法に従うし、無神論者でないことができる。というより、この章では彼らがいかに「流されやすい」存在かという意外な一面を見ることになる。

 というのも、懐疑主義者は順応主義者でもあるからだ。既存の規則を変えるためにはなにが善くてなにが悪いかを判断しなければならない。『つまり懐疑主義者とは、偶然そこに生きることになったある社会において、その社会の習慣やそこで生じた「先入見」に必然的に従って生きる「順応主義者」なのである』(セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答)。

 とはいえ、懐疑主義者はここでも一貫している。実生活の習慣や法に従って「神は存在する」と言うが、もしそれが「自然本性的に」と押し付けられるとき、彼らはただちに反論する。また規則だからといってそれにずっとこだわることもしない。なぜならこだわることこそドグマに他ならないからである。

 

第三部 古代懐疑主義の始動原理

第六章 古代懐疑主義相対主義

 古代懐疑主義は、いわゆる相対主義となにがちがうのか。

 少なくとも、懐疑主義者が相対主義的な主張を確信することはありえない。言うなれば、相対主義者はドグマティストであり、懐疑主義者はそうではないという決定的な違いがそもそもある。相対主義テーゼは排出する手前で出てくるものであるが、そのドグマに与するところではない。もしそうでなければ、よく知られる相対主義の自己論駁の問題に巻き込まれるし(相対主義の主張も相対的なのか?)、判断保留ができておらず懐疑主義という立場としては終わってしまう。

 

※この章はいまいち言いたいことがつかめない。メトリオパテイアに関する本章の記述はあとの章に混ぜることにする。

 

第七章 古代懐疑主義における幸福

 幸福に関する懐疑主義者への批判は次のよっつにまとめられる。

  1.  そもそも幸福を人間の目的と見なすこと。
  2.  アタラクシアを幸福と見なすこと。
  3.  懐疑主義をアタラクシアという幸福へいたる手続きを見なすこと。
  4.  アタラクシアと探求の継続との整合性

 まず1,2というのは『理論的に取り扱われることのない当時の一般的な見解』であり、「現われ」なのだと擁護することができる。3については、もはや問題ないように思う。というのも、懐疑主義はアタラクシアにいたる「偶然性」を受け入れるから。必ずそうなるという必然的な手続きではないのである。

  懐疑主義者はこうすれば必ず幸福になれるといったことは言わない。その点、人間の限界というものに気が付いているのである。彼等はもちろん「自然本性において善いものは存在する」という判断を保留する。もしそんなものがあれば、みんなにとって善いものだろう。しかし全員が共通して善いとするようなものなどないだろう。

 もし「存在する」と確信するとどうなるか。必死になってそれを追い求めたり、仮にこれだと思うものを掴んでも過度に喜んだり、それを守るために動揺させられる羽目になる。一方で判断保留する人は、

 その不在に動揺させられることもなく、その現前に喜ぶこともなく、それぞれの場合に動揺なくとどまるのである。したがってその人は、信念によって善いものや悪いものと見なされることに関して、またそれらの選択や回避に関しては完全に幸福であり、他方、感覚的で議論によって論じられることのない働きに関しては節度を保っているのである

セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答

  前に書いたように、判断保留から無動揺という状態へ向かうのは偶然的である。しかしそれだけではなく、一切を判断保留したとしても、われわれが逃れることができるのは「信念による動揺」であり、それ以外のことについては動揺させられうるのである。たとえば極寒の地へ裸で放り出されたらあなたは動揺せざるをえない。また、砂漠へ放り出されて喉がからからに乾いているとき、あなたは動揺する。

 つまり懐疑主義者は『判断保留にもかかわらず、「不可避的な事物によって煩わされる」ことを認めている』(セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想―古代懐疑主義をめぐる批判と回答)。だが『重要なのは懐疑主義者がその「不可避的なもの」に対して「節度を保つ」ことが可能となる点』である(前掲書・第6章)。ふつうのひとびとは「不可避的な事物」によって与えられる動揺に、「二重に」苦しめられる。ひとつは受けている情態そのもの、そしてもうひとつは「その状況が自然本性的に悪いものだという思い」である。懐疑主義者の判断保留は、後者の余計な信念を取り除く。それは無動揺(アタラクシア)ではないけれども、節度ある感情(メトリオパテイア)である。

 懐疑主義者は幸福に必ずなれるのだとは言わないし、避けることができないものを見据えている。だからさきほどの4の批判も、かわすことができる。仮にアタラクシアの状態になったとしても、われわれは判断保留しつづけなければならない。判断保留によって動揺の種はすべて消えたりしない。

 

 

*1:Barnes,J.[1992],"Diogenes Laertius IX61-116:The Philosophy of Pyrrohonism" in Aufstiegund Nidergang der romischen Welt.2,36.6,ed.Haase,W.(Berlin,New York) 4285