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うまくやりたいの病(日記)

2022.05.29記

 うまくやろうとして成功することはほとんどない。文章も、うまく書いてやろうと思っているとうまくは書けない。世の中のうまい文章というのは推敲しているからうまいんであって、最初からうまく書けるひとはいない。磨いてうまくなる。

 出来事というのは、たいてい一回きりである。そうとはいえ、たとえば仕事などでは、毎日毎日似たようなことばかりをやっているかもしれない。仕事でなくったって、毎日が似たようなもんだという場合もあるだろう。これもまた磨けば案外うまくなる。こういうときはこうしようと、ああいうときはああしようと、だんだん要領がつかめてくる。技能というのはそうやって高めていくものだ。それで生きるのもうまくなる。小さいころに比べると、どんな人も生きるのがうまくなっているものだ。親と一緒でないと行けなかった場所に今は一人で行くことができる。

 そのせいだろうか。なにかに出くわすと「うまいやり方があるんだろうな」と思う。この極限として「うまい生き方があるんだろうな」と思う。それで生き方について考え始める。先取りして捕まえておこうという腹積もりである。最近教養がどうだの、とにかく色々なことを知ろう、知らないものはばかだ、という風潮があるのもそれが原因かもしれない。とにかくなんでも仕入れようとする。なにもかも、うまくやるためである。未踏の地の地図が欲しいのである。

 だが手に入るのは、ここには重力が働いていますとか、何らかの植物がありますとか、なんらかの微生物がいますとか、そんなことばかり。ナントカ地形かもしれないしそれでおおよそわかることもあるだろうが、「詳しいことはわからない」。当たり前だ、未踏の地なのだから。だが仕入れた知識が役立つときもあるし、せっせと知識を集めていく。修学旅行の荷物パンパンみたいなもんで、いくら沖縄について調べようが旅行を豊かなものにできるとは限らない。行ってみなくては。沖縄にはハブがいるらしいが行けば必ずでくわすわけではない。とはいえ対策するには越したことはないのじゃ、と荷物はかさばるばかり。それで動けなくなる。けれど、また調べたくなってしまうのだ。うまくやりたいから。これはもしかすると周囲の目を気にしているところもあるかもしれない。スマホを取り出し、グーグルにアクセスする。「動けないとき 方法」。