にんじんブログ

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将来世代(日記)

2023.05.13記

 私たちの肉体はいずれ滅びるが、子どもを残せばDNAが残る。反対にいえば私たちは親の持っていたバトンを受け取った存在なわけで、受け渡せるものである以上受け渡したほうがいいような気もするが、後生大事に持っておくのも悪くはない。選択して子どもを持ちませんと声高に言わなくても恐らく自分に子どもは持てないだろうという予感もある。だれかの「世話をする」などということが、自分にできるとも思えない。おそらくこのことはにんじんだけが感じていることではない(と思われる)ので、政府がいくら少子化を食い止めるために異次元な対策を打ってこようが、それが異次元であるという点はおいても、やはり難しそうである。だがそうは思っても、自分に潤沢な資金があり、思う通りに整備できるなら、バトンにバトンの役割を果たしてもらうのに一考の余地がないでもない。ただ、子どもを作るには異性が必要なので、この点は極めて、いろいろな意味で困難なことではあるが。

 反出生主義の主張は少なくともベネターの論証に沿う限り、存在することとしないことの可能世界間における善悪の量的比較にもとづく。理論的にはこれを反駁したうえで子作りといそしみたいが(相手がいると仮定してだが)、そのことは、やはり色んな意味で、のちの課題とすることにしよう。新しい命をこの世界に誕生させたいか? 少なくとも、『潤沢な資金』がない限りはほぼNO。子どもがいきなり塾に通いたいだの、ここに行ってみたいだの言った時に、はいはいと言って支出できる程度は欲しい。あるいは学校に行きたくないというときに、代替手段を用意してやれる程度には。

 

 ……と、その可能性があるかどうかもわからないのに教育について思いを巡らせたりしたのだった(日記)。