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にんじんと読む「関係からはじまる」 第一章

第一章 境界確定的存在からなる世界

 自己と他者の区別は、人間が作り出したものであり、この世界を理解する方法の一つにすぎない。

関係からはじまる―社会構成主義がひらく人間観

 自己/他者、そしてさらには個人/共同体という区別は境界によって区切られた個別的な存在というあり方——世界を理解するための私たちにとっての一つの方法――に基づいている。これを「境界確定的存在」という。子どもがお絵かきするとき、いくらかのカタマリを人や家などと表現したように、私たちはそのように世界を理解している。

  • 根源的な孤立)私たちは根源的に遠く隔てられ、誰も誰かのことを理解することはできない。一人ぼっちで生まれ、一人ぼっちで死ぬ「本当の私」。
  • 容赦のない評価)根源的に孤立し行為の源泉たる我々が、犯してしまった失敗はすべて自分のせいである。不適切なふるまいは内的な欠陥を暗に示している。失敗する可能性はキリがなく、周囲の人間たちは、君は足りないところがあると教えてくる。友人Aのように映画に通暁しておらず、友人Bのように年収が高くなく、友人Cのように頑強な体を持っていない。メディアは自分たちがいかに流行遅れで、不清潔で、不健康かと触れ回っている。
  • 自尊心の探究)私たちは孤独で、評価という脅威に常にさらされている。誰も私を守ってくれる保証はない―――欠点はいろいろあっても私自身だけは私を愛してやり、尊重してやらねばならない。自尊心を強調することの暗い側面はナルシシズム・エゴイズム・虚栄心・自分勝手・傲慢などと密接に結びついていることだ。『この自尊心の強調を、冷淡な社会への入り口だと考えている』。

 境界確定的存在という世界の見方が他者との関係についてもたらした負債はあまりにも大きい。私たちにとって他者はどこまでも不気味である。しかし自身の価値を確かめるためには道具的に彼らが必要であり、可能なら相手には失敗してもらったほうがよい。関係というものは個人よりも後にくるもので、ゆえに二次的である。関係は余計な期待や義務を私たちに突きつけ自由を奪ってくるので、見返りがないと話にならない。そしてもちろん、道徳は単に迷惑なものとなる。