にんじんブログ

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言わない(日記)

2023.12.14記

 だれかになにかを伝えることは、大事なことだ。「言わなきゃ伝わらないよ」と言われるように。だが、言っても伝わらないことのほうが多く、言って伝わってもなんの効果もない場合も多い。言わなきゃ伝わらないよとはよく言ってくれたもんだ。犬の健康によくないモンをぽいぽい嬉しそうにやるバアさんに「それはイヌの体に悪いから」と言ったってなんの意味もない。信号無視して横断歩道を渡る奥様みたいな卑屈な顔でこそこそ隠れて食べ物を与えるようになるだけである。

 言うことはいわば賭けだが、多くの人はこの賭け方がうまい。下手なやつが小利口に議論だの権利だの法律だの、その場の流れをぶち切って「主張」するのだろう。うまい人は意見など言わないものだ。意見とは本質的に誰かに対する反論であり、波風が立つ。お客様アンケートを鵜呑みにしたアホみたいに素直な職場は朝礼にみんなで挨拶を復唱することに決めるが、社員の誰も意味があるとは思っていない。だが誰もそんなことは言わない。うまい人は水面下で動く。撤廃に必要なだけの言質をほうぼうでとることは「根回し」というが、賭け方が下手な人はこれが大嫌いである。変更の規定が明確に定まった枠組みのなかで公然と自らの権利のもとに主張しなければおさまらない。たしかに、根回しばかりしていると透明性が確保できない。しかしかといって、根回し的なことが一切ないのは馴染まない。コミュ力おばけもご意見番も困ったもんだ。時代に合っているのはたぶんご意見番で、みんな意見を持っていないといけないみたいな空気になっている。別にいいだろ、政策がどうだの……。ほんとはどうでもいいのでは? でもどうでもよくない人たちがたくさんいて、そういう人たちがごちゃごちゃ口やかましくやってくれてるから権力が肥大せずに済むんだろうな。

 にんじんはなにか口やかましくいう人よりも、何が起こっても「ほいほい」と頷きながら結局自分の好きなように過ごしている人のほうがかっこいいと思う。ただこの人は意見など言わず、かといって根回しもせず、言葉の最後に「知らんけど」といつもつけてそうなほど無責任なやつだろう。バアさんが犬にメシやってるのだって、まあ、別にどうでもいいし……。でもそういうのってちょっと寂しい面も感じる。『ゆずれない何か』というのを持っていないとその人固有の生き方をしていないって、そういう感じがするのだろうか。どこかの作家が自分らしさを追い求める人々を小馬鹿にしていたけれど、作家のくせに何を言ってるんだろう。日がな一日頭のなかで旅ばかりしているわりに、インドに出かける大学生にはやたらと厳しいんだな。

 外的な基準に流されて自らの存在を道具的に取り扱ってしまうのをハイデガーは「頽落」といって「だれでもない」ような非本来的なものだと、それが人のたいていのあり方なんだと言ったけれども、たしかにそうだ。でもその人固有のあり方って、言うほどないのでは?

 

 ……日記と題して思うままに書いているとどんどん話が脱線してくる。これは日記なので、誰かに伝えることを意図して書いていない。だからたぶんこれでいいのだ。