にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

にんじんと読む「争わない社会」

第一章 競争原理

 競争は、うまく働けば創造性や卓越を生み出す原動力になる。問題は、時にそれがお互いをつぶしあう争いに発展することだ。そもそも「競争」と「争い」はどのように異なるのか。競争では、限られた地位や立場をめがけて一定のルールの下で皆が同じ方向へ向かう。ここでは勝敗よりも序列が重要である。一方、争いでは勝敗を決めようとする。つまり、競争が共存を前提としているのに対して、争いは共存を否定する。そして問題は、競争という序列づけがいつしか争いに転じてしまうことである。手がかりは、競争が常に争いに発展するわけではない、ということだろう。

  •  どうして自分の利益を犠牲にしてまで他人に協力などしないといけないのだろうか。人間は複数の集団に同時に所属できる。競争や合理性の意味は、その所属によってその都度変化するのである。たとえば同じ部署内では出世争いで競争しているとしても、部署間の競争となれば協力する仲間となる。会社間の競争では部署同士は仲間であるし、業界間となれば同業者はみな仲間となるだろう。つまり、より上位レベルの競争に勝つことを目的に下位レベルでの協力が促されている。こいつとはやりあう、やりあわない、といった単純な話にならないのは集団がこのように入れ子状になっているからだ。
  •  競争は生産的なことばかりではない。(1)ニーズや生きがいなどの無形の価値を財に置き換えてしまう。コーヒーチェーンが広がるにつれ地域の個性的な喫茶店がなくなるのも歪みの一つである。(2)価格競争の激化によって値段の背景にある人間が見えなくなる。(3)自然の存在を忘れさせる。野菜も魚もスーパーにあるため、食料品の値段には敏感でもその生産そのものの問題などには関心がない。

 徒競走でいつも負ける子どもがいじめられて不登校になったとしよう。この場合、徒競走は自分の存在をかけた友達との争いとなる。ここで争いを避けて、友達と競争することはできるだろうか。

  1.  勝敗の判定基準を多元化し、勝敗を一つの基準で決めない。スキーでは飛距離だけでなく、着地のフォームも評価対象である。
  2.  負けの処理を工夫する。たいていの競争では勝者よりも敗者のほうが多い。勝敗を個人の能力とはせずに天の采配としたり、「負けるが勝ち」であったり、「気前の良さ」であったり、勝ちを不必要に自慢したりして周りの嫉妬を煽らないなど、負けの処理について色々な文化的装置がある―――「負けの処理」は共同体の持続可能性にかかわる。

 

 

第二章 社会分業

 興味深いことに、分業が最も浸透した社会では個々人の自立こそあるべき姿として高く掲げられている。タイの農村では髪を切るのがうまい人がいるのだが、その人は理容を専門にしているわけではなく、農民と兼業である。収穫の季節には他人の畑仕事を手伝い、子どもたちの面倒を見、食事も分け隔てなく提供する。日常生活では経済的に「遅れている」といわれている地域のほうがお互いに助け合っているようにみえるが、分業の進んだ社会のほうが、そこに関わる人は比べものにならないほど、けた違いに多い。つまり発展した国の「自立」は、実際には依存関係の濃密化なのだ。

 個人の自立は分業体制の一部を担うことで成り立つ。一人ひとりが自分の可能性を絞っているのになぜお釣りがくるほどの経済発展するのかについてアダム・スミスは説明した。分業は個人のやりたいことをやりたいままに徹底させ、しかも社会全体を豊かにするものであったはずなのだが、実際の現場ではあまりにも細かく分かれすぎて、自分が一体なにをやっているのか、わけがわからないままでいる。ブルシット・ジョブというのは働き手本人さえも必要性を感じていないような仕事が様々な業界で生み出されている実態を研究したグレーバーの言葉だが、こうしたことによってむしろ個人同士の引き離しが起きている。

【分業の弊害】

  1.  分業の担い手たちの目的意識の喪失
  2.  立場の弱い人が条件の悪い仕事に追いやられて、そこで固定されてしまうことに由来する格差構造
  3.  経済的に有益な特技だけがシステムに組み込まれるために、弱さを補い合う共同体の機能が弱体化する

 米国ではこの解決としてもっと自立せよと奨励する。ネギを切ることしかできない人は完成品の饅頭までつくれるようになるべきだというのだ。だがもしそうなっても生活のすべてが饅頭の顧客のみに依存し他の生業につく可能性が閉ざされているならば自立は限定的なものにとどまる。

 

第三章 対外援助

 国が対外援助をするのは、与えることを通じて相手国やその人々の自立を促すためである。だが世界全体でみると貧困は確実に減っているのにODAはむしろ増加しているのはいったいどういうわけだろう。私たちはこの問いに、与えている側が援助によってなにを受け取っているかを見ることで答えることができる。「相手の自立を目指す」というお題目は、この視点を見えづらくしていたのである。その利益とは、実利もあるが、援助してくれた国を頼りにするという関係性の強化にある。日本はかつて最大の与える国であったが、援助によって諸外国との依存関係を深めてきたのである。

 日本は戦後、関係国に賠償する責任も持っていた。日本にとってありがたいことには、その賠償が「お金を渡す」ではなく、「生産物を渡す」だった。より具体的には日本人の役務を連合国のために利用することであり、戦争で疲弊した支払い能力のない国に対する賠償であった(ドイツに対して無理な現金・実物賠償を課したために急進的なナチスを生んだ、という反省もある)。賠償を求める国は、どんな設備・資本を調達したいかのリストを作り日本と交渉する。良さそうなら必要な業者と契約を結ぶ。ただし、どの業者がいいかわからなければ日本政府に推薦を求めることもできる。日本企業は相手国政府に対して、申請を前に事前の売り込み工作を行うことができるわけだ。必要な物資リストは日本政府の承認を得る必要があり、企業は賠償計画書を代わって作成するケースもあった。「日本政府⇒企業」という風に賠償がやや遠回りになっているのは、①政府が関与してなにかしているのではないかという疑念払拭、②政府が価格交渉しなくてよい、③日本企業と契約するので外貨にしなくてよいというメリットがあるためだ―――何を与えるかは向こうの要請に基づく。しかしその供給に伴って対価を得るのは日本企業である。日本は工業製品を「賠償」にのせてアジア各国に流し込み、利益を得て、しかも依存関係の基礎を形成することに成功した。日本が行う対外援助はこの経験と技術を原型としている。

 

 つまりは、援助というのは依存を脱却させ自立に必要な訓練と機会を与えるものだと思われているが、相手の自立を目指しつつ相手が自分から離れないようにする行為でもあるということだ。日本政府も自立を強調するが、「自分たちも相手にとって必要な存在にならなくてはならない」と依存関係を意識している(『我が国の経済協力について』(第一部会特別資料No.38))。

 本来の自立とは依存先を自分で選び、主体的に配置できている状態であり、全く依存関係がない状態ではない。依存がなければ自立ではなく孤立である。多くの社会では、他者への依存は恥ずかしい、避けるべきものと考える。援助は一時的な依存であり、やがて消えていくものだと思っている。しかしこの考え方では、援助によって生まれる新たな依存関係が見えなくなってしまう。