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にんじんと読む「大衆の反逆」 歴史的水準の上昇

歴史的水準の上昇

 密集の事実。大衆と少数者集団の特徴。……並べてきたことはなんとなくエリート主義的なにおいをかんじさせるが、著者もこのことは自覚していたと思われる。彼は自らを「根本的に貴族主義的な歴史解釈をその持論とすることで有名」と書いているが、ここにはいくらかの注釈がついている。

ただし、いま根本的という言葉をあえて使ったのは、人間社会が貴族主義的であるべきだなどと言ったのではなく、むしろそれ以上のことを主張してきたからだ。つまり、人間社会は常に、好むと好まざるとにかかわらず、本質そのものからして、貴族主義的であればあるほど社会的たりえ、非貴族主義的であればあるほど社会的たりえない、そう言えるほどに貴族主義的であると言ってきたのだ。

ここで言う社会的貴族というのは、自分たちの社会を「上流社会」と自称して、「社会」という名称をそっくりそのまま独占しようとしたり、招待されたりされなかったりで無為な日々を送る、ごく限られた数のグループとは似ても似つかぬものである。

大衆の反逆 (岩波文庫)

 さて、大衆が少数者集団の門扉に集まり、わらわらと中に入り込んできたことで、かつてはごく一部しか使われていなかった物質的技術や、法的社会的技術は平均的なものとなったという。たとえば浴室を持っている家などはパリにはかつて十軒ほどしかなかったし、政治的権利においてもそうだ。今では浴槽や政治的権利を熱望する人は、少なくとも日本においては、多いほうではないだろう。まさに「熱望や理想ではなくなり、欲求や無意識の前提へと変化してしまった」わけである。このことは少数者集団の水準に平均人が近づいたということだ。

 このことを見るなら、これまで語ってきたような密集の事実であったり、大衆の存在であったりは、むしろ望ましいものであったともいえるだろう。