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「マグロウヒル大学演習 現代論理学(Ⅰ)」第二章

第二章

 論証の主要な目的はふつう、帰結がおそらく真であることor確実に真であることを証明することである。

  •  論証はその帰結が基本前提から必然的に導かれるか否かによって演繹的と帰納的のふたつのカテゴリーに分けられる(その記号体系の推論規則によって云々とするのが””現代的””であろうと思われる。必然的といわれても困るが、伝統的には、こう定義される。演繹的であると意図されてはいるがそうではないものを「非妥当」といって演繹的と区別するが、特に断らない限りは同義語として扱われる)。一群の前提を承認したうえでの帰結の確率を帰納的確率と呼ぶが、いわば演繹的とはこの確率が1のものである。ただし演繹的論証において前提がすべて真であることは求められていない。前提がすべて真であるようなものを「健全」という。また、帰納的確率が十分高いかどうかは目的に応じて変わる(人の命に関わるなら90%でも足りないだろう)。

 さて、論証の良し悪しはこの目的への貢献によって量られることとなるだろう。

  1.  前提がすべて真であること。その場合、少なくとも帰結の蓋然性が高いかどうか。
  2.  関連性があること 『創造主という考えは嫌いだ。だから神は存在しない』は前提と帰結に関連性がないし、おそらく帰納的確率も低い。『羊は白い。だから、あるものが猫ならばそれは猫である』は関連性がまったくないが正しい。『あなたはこのことを証明していない。だからこのことは間違いだ』は、おそらくはそうであろうといえるが、強い関連性を持たずよい論証ではない。
  3.  全体的証拠の必要性 帰納的論証は前提をつけ加えることによって帰納的確率は変化する。だから帰結と関連するすべての既知の証拠が前提に含まれていなければならない。もし既知の証拠が帰結を反証するようなものだとしたら証拠隠ぺいの誤謬と呼ばれる。