にんじんブログ

にんじんの生活・勉強の記録です。

MENU にんじんコンテンツを一望しよう!「3CS」

「認知語用論の意味論」

  •  真理条件的意味論は合成性原理と意味論的無垢という二つの原理を維持し得ない。なぜなら第一に、文脈に応じて真理条件への貢献が変わり得るheやtodayといった表現があるからであり、第二に、意味論的無垢を仮定すれば合成性を破棄しなければならなくなる。実際、heという語に「ある男性」が常に与えられるのなら、「ジャックはどこ?」「彼(ある男性)は事務所にいます」という発話の意味は語の合成だけから説明することができない。
  •  問題とされているのは指標詞であり、文脈である。言語的意味を「真理条件に対する寄与であってそれだけだ」として説明することは疑わしい。指標詞を使わなくても「それって同じことじゃない?」というごく普通の文でさえ、何と同じなの? という問いに答えずには意味をつかまえることができない。最小意味論者は《「それって同じことじゃない?」が真となるのは、"それ”で指示された実体が同じことである場合でありその場合に限る》と分析することで真理条件への分析を辞めない。だがこの方法には難点がある。話者がその文に込めた真理条件と《》は、違う中身になってしまうことだ。ではもうあきらめて「文」ではなく「発話」として、発話の真理条件を分析することにしてもうまくはいかない。なぜなら人はふつう、同じ言葉をそれぞれの状況で臨機応変に使いこなすことができるからである。たとえば「はやく男と結婚したい」というときの「男」はまったく字義通りでないどころか、通常の男よりもより狭い概念になっている。つまり文脈によって言葉の意味を決めようとしても、発話する人の意図によって意味が変わってしまうということだ。もっと別の方法もある。she likes chocolatesという文の真理条件を、《もしこの発話の過程でXがsheによって指示されるなら、その発話が真になるのはlike(X,chocolates)の場合である》とするのである。だがこれだとsheでもheでも区別がつかなくなるので、Xに男性とか女性とかいう条件をつけるのがより洗練された方法だろう。だがこの方式で変項を増やしていくと、表面上には現れていない「隠された項」が数多くあるということになってしまう。
  •  そこで、真理条件意味論者は鬱陶しい言葉の複雑さや話し手の意図は脇におくことにするかもしれない。それによって生まれるのは「真理条件的表現」と「非真理条件的表現」であるが、たとえばFrancly,Peter is a boreと、Peter spoke franklyにおけるfranclyという単語の扱いは、前者においては確かに真理条件に関係しそうにないが、後者においてはそうではない。いったいFranclyは真理条件的なのか、非真理条件的なのかどちらなのだろう。